analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

新宿シネマフィルム

10年くらい前まで新宿の民をやってまして。

正確には高円寺の民だったので新宿のど真ん中に住んでたわけではないんだけど、仕事も遊びも食事も買い物も新宿だったし学校も新宿区だったので、新宿の民と表現しても怒られないだろう。

その後の人生サーフィンの結果、仕事をやめていつの間にか海の民になってしまった。

それでも新宿のことはいつも頭の片隅にあって、あの頃の楽しかった新宿を思い出してはふらっと新宿の今を確認しに行っている。言うなれば新宿の生存確認。うすっぺらいグローバル再開発シティに成り下がっていないことを確認するぶらぶら歩きだ。

最近はLEICA M6にVISION3を詰めて夜の新宿をぶらぶらしている。ノスタルジーの為せる技なのかもしれないけれど、新宿の夜はデジタルカメラよりもシネマフィルムで撮った方が色気が際立って良いと思う。

このお話はシネマフィルムの自家現像を始めた話の後日談でもある。

新宿に降りると決まって横丁に入る。

思い出横丁もゴールデン街もぱっと見変わってないけど、ようく見ると英語があちこちに見え隠れてしている。それでも暖簾とその後ろの人々は健在だ。

 

久しぶりに訪れた花園神社の酉の市はすごい賑わいだった。観光客からお店の経営者からコワイ会の人達までが花園神社にごちゃっと集まっていて、多様性ってこういうことなんだよねって思う。

 

 

どっぷり暗くなってからが新宿の酉の市だと思ってる。

この金色が被った光の色と暗がりの中の雑踏。賑やかな呼び込みの声、商売繁盛の掛け声と拍子木、酔っ払いの楽しそうな話し声が闇の中に溶けていく。街が呼吸しているのだ。

 

 

 

夜の新宿を歩きながら考える。

この街は道路が歪んでいたり臭い場所もあるけれど、綺麗さっぱり再開発されてしまった渋谷よりも遥かに魅力的だ。それはこの街の至る所に人の手垢がついているからだろう。この街を通り過ぎた何十万何百万という名もなき人々の歩いた跡が道になり彼らの活動の軌跡が街を魅力的にしているのだ。

渋谷とかお台場みたいに一握りのサラリーマンが図面を引いて機能を置いて、暗部を切除して作った街が軒並み無機質で退屈な街になってしまうのは、その街に出入りする「人」を置き去りにした結果だと思うんだけど、どうだろう?

写真は全てLEICA M6とSummaron-M 35mm F2.8、Kodak VISION3 250Dで撮影

 

初めてECN-2現象に挑戦した時はきちんとネガが作れたことに満足していたけど、改めてネガを眺めてみると所々に色ムラのコマが出てきたりものすごいゴミの付着したコマがあった。現像時の攪拌頻度を変えて漂白、洗浄を丁寧にやることで劇的に改善したのでもう少し手探りでカラーネガ現像をやっていくことになりそう。

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