analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

今月のあとがき: 2024年5月

ゴールデンウィークも終わり仕事場に戻ったと思ったら見事に適応障害に陥った。

もうこの社会から遠く離れたところに行ってしまいたい。仕事も家庭も何もかも放り投げて写真と料理があればそれでいい。そんな生活をしたい。無人島がいいかな。山奥がいいかな。でも海辺もいいし水の音や木々のざわめきが聞こえる土地がいいな。

薄汚れた街並みと自分のことばかり考えている人間がいる東京はもう嫌だ。人里離れた遠くに、遠くの土地にラジオとカメラを持って猫と一緒に行ってしまいたい。

いま一番欲しいものは自由と小さな小屋です。そんな5月のあとがき。

20年以上連れ添った箸を折ってしまった

欧米人は歯医者と床屋を変えないと言うけれど、日本人の僕は使い慣れた箸こそがフェイバリットなので、どんなに高級な箸を貰っても長く使ってきた箸を変える気持ちになれない。

初めての一人暮らしを始めた頃に使い始めた箸は、料理も食事もひとつでこなし続けてきたからかすっかり箸先は丸くなり角は取れ、もしかしたら長さも変わってしまっていたかもしれない。

 

とても頑丈でいい箸だった。

青春時代から社会人になりたての頃、いま思い出しても吐き気がする顔つきのくそ上司にいじめられ、溢れた涙の塩味が沁みたご飯を僕の口に運んでくれたのもこの箸だったのだが、うっかり空焚き中の鉄フライパンの上に置いておたらコンロの火が移ってしまった。

無くなってしまったものを悔いても仕方がないので無垢のクルミ材の箸をお迎えした。無塗装の箸っていざ探すと中々見つからないのだけど、苦労して探した甲斐があった。

新しい箸はとても端正な佇まい。これから向こう20年くらいよろしくね。

予想以上に無塗装の箸を探すのは骨が折れた。良い佇まいでしょ?

Apple Watchを買ったら1週間で飽きた

職場で呼び出され「あなたの健康状態が悪いのでスマートデバイスを支給しようと思うのですがいかがでしょうか?」というくそみたいな提案を受けた。超絶運動不足なのは分かっているけどそんな保釈中の人間に付けるGPSみたいなものを渡されるなんて耐えられないので、自分で身銭切ってApple Watchを買ってきた。

 

スマートウォッチなるものを初めて腕に巻いてみたんだけど、心拍数やら睡眠状況とかのデータを集めてくれるのが面白い。Watchとは言うものの時計というよりデータロガーって感じ。

Apple Watchが集めてくれた一週間分の心拍数のデータを眺めていたら職場にいる時の心拍数が明らかに高いので、労働と東京のオフィスは僕の体にとって有害だという結論に至りつつある。

労働は害毒だ。不健康の原因は労働。

 

そして1週間でApple Watchに飽きた。

元々時計を身につける習慣がないというのもあるけど、そもそも使い道がなかったのと身に着けるアイテムとしては微妙だったのが原因。

Apple Watchがダサいと言うか、微妙なサラリーマン層がこぞって腕に巻いているのが頂けないのだ。プロダクトとしては悪くはないのだけど、秀才の集まる企業になってしまったAppleが凡才サラリーマンのために作ったアイテムって感じ。

 

僕を昔から知ってる人には「あなたそもそも腕時計嫌いな人種だったじゃない。」って言われそうだけど。多分それが原因なのだけど。

黒ケースに黒バンドだとリクルートスーツをきたサラリーマンになっちゃいそうなのでゴールドとイエローにピンクの文字盤にしている

撮影機材のインナーケースを新調した

ずっと使っていたハクバのインナーケースがヘタったを通り越してめちゃくちゃになったので丈夫そうなインナーを買ってきた。やはり箱型のインナーケースはリュックやトートバッグの中に仕込んで使うには無理があったかもしれない。

今回買ったのはこの筒型の防水ポーチ。

緩衝材も箱型のものに比べてかなり厚めだし高さのある筒型なので、今回は型崩れをしないんじゃないかと期待している。

仕事に使うトートバッグとかリュックにカメラを入れる時のインナーバッグは多分これが正解なんだと思う。

 

左が一年位使ったインナー。もはや原型は止めてない。カバンに入れっぱなしだったのでこれはもう仕方ない。

MサイズはハッセルSWCがギリギリ入るくらい。50mm付けたライカM6だとすっぽりちょうどいい感じ。

今月はストレスのためか買い物の話題ばかりになってしまった。経済活動をするということはより労働にコミットしなければならないので、心身に取って不健康極まりないことだと反省している。

来月はもっと遊びに行きたい。

 

*写真は全てRICOH GRIII

中年クライシス素描

自分もいつかは中年になり人生に迷って苦しむのだろう。

それでも世の大人はあんな苦悶の表情で悲壮感を背負って歩かなくてもよいだろうに、ましてや電車に飛び込んだり首を吊る必要なんて絶対にない。そもそも人がそこまで追い詰められる社会や世の中の仕組みがおかしいのだ。

 

20代の頃は漠然とそう考えていて、なんなら今でも他人事のようにミドルエイジクライシスに思いを巡らせているのだけれど、ここ数年僕の意識を覆う理由なき焦燥感だとか社会への無力感や自分の無価値感はたぶん世間で言うミドルエイジクライシスで、 もしかしたら知らぬ間に僕もこの苦しみに片足を踏み入れているのかもしれない。

 

ちょうど「きょうのはてなブログ」でミドルクライシス関連の記事が2つも上がっていたので、これらの記事を読んで考えたことを書いてみようと思う。

僕は心理学の教育を受けた人間ではないから気の利いたことも書けないし聞き齧りの話を文字起こししても何の価値もないと思うので、手掛かりになりそうな思いつきを箇条書きにしてみる。

  • 人間は100%死ぬけど仕事上のキャリアだっていつか行き止まりに辿り着く。キャリアって自己評価じゃなくて他者からの評価や時代の需要だから、こればっかりはどうしようもない。
  • 歳を取るに従って選択肢が劇的に減ってくる。何者にでもなれると信じていた自分と自分の可能性は、気がつくと跡形もなく消え去っている。人生が迷路なのだとしたら袋小路の数が次第に増えてきて、見慣れた場所をぐるぐるし始めるのだ。
  • 男性でも女性でも中年になる頃にはその大多数が人生の中で夢破れまくっていて、10代20代の頃に負った心の傷、あるいは折れた心の接合部が中年になると後悔の念と共に疼くのだろう。取り返せない時間、達成できなかったあれやこれは自分が無能だったからだという思い、人生の無価値観。
  • 大谷翔平から希望を感じることがなく、むしろ彼を見るたびに圧倒的な絶望感をもらうようになる。あの凄まじいバッティング音に添えられる「大谷がボールを破壊した」ってコメントは中年の心も同時に痛めつけるのだ。才能とはこうも不平等なのか。
  • 受験、就職、仕事の評価、出世あるいは独立後の成功…と上手にことが進めばいいが当然ながら勝ち続けることはできない。物事を勝負でしか判断できないソルジャー気質の場合、負け戦が多くなり強烈な劣等感が傷跡として残るんじゃないかな。
  • 資本主義社会の一兵卒教育には仕事の価値観教育が上手に組み込まれていて、ひたすら「あなたの仕事には価値がある」と調教されるが、そんな世界で育った人間がいざ中年になりふと人生を振り返った時、登ってきた梯子は既に外されている。多くの仕事には基本的に価値がないのだ。価値があるならもっと自分はいい生活をしていたっていいのに、対価のほとんどは株主と経営者のものだ。
  • だから世の中の中年ほど「何者かにならなければならない病」に罹って、動画配信始めたりインフルエンサーになろうとして第二の厨二病に罹るのだ。二次災害だし無謀な挑戦だ。これって進学就職に失敗した人がワンチャンかけて配信に走るのに似ている。
  • 中年男性がやたらカメラを買うのは手っ取り早く自己実現ができそうな分野だから。蕎麦打ちも近いものがあるけど、どっちにせよそれで生計を立てるなんてほぼ無理。ごく稀に成功例があるけど、あれはレアケースだということに気付く。
  • XやInstagramは中年にとって有害そのものかもしれない。(本物かどうかは置いておいて)山のように知識人が跋扈していて、雪崩のように強い言葉が押し寄せる中でさらに路頭に迷っちゃうから。そして過去に自分が見聞きした話題がその下の層からチヤホヤされている様を眺めていると中年の自己肯定感が爆下がりするから。
  • XやInstagramアイデンティティ喪失に陥った中年男女にセミナーや情報商材を売りつけるスペースでもある。こうやっていいねを稼げば他者からの評価をもらえるぞ、あるいは会社組織から脱却して自分らしい生き方をしてみろよって餌に中年は食いつくのだ。
  • 自分のアイデンティティを外部の要素に頼ったまま中年になると悲惨じゃないだろうか。乗っているクルマ、持っているもの、所属していた組織、住んでいる場所、学歴や資格あるいは肩書きは人に備わった本質的な要素ではない。
  • 世の中のモノやコトがつまらなくなってしまうのは仕方ない。時代が一周して自分よりも経験がない人間がモノを作ってるんだから。そこに深い思想や強度はない。時代の審判を受けてきた古いものに好みが向くのは当然。
  • ミドルクライシスを回避する方法があるとしたら、中年になるまでに自分の価値観(物差し)と収入を確立しておくことかもしれない。別の言い方をすれば仕掛けられた競争から降りてしまうということ。
  • 僕のやってる写真の分野だと、いわゆる「凄い写真競争」とSNSでのいいね徒競走から降りて自分のやりたいようにやること。あんな写真は生成AIにでもやらせとけばいい。
  • 自分自身の価値観があれば同級生がマセラッティに乗っていても億ションを買っていても羨ましいとは思わない。僕は自分の価値観で生きているので人の肩書きと持ち物をあまり羨ましいと思わない。収入は…どうにかしなきゃ。
  • 冒頭に「そもそも人がそこまで追い詰められる社会や世の中の仕組みがおかしいのだ」と書いたけど、どう考えても世の中や社会の仕組みはクソまみれなので、この仕組みからどうにかして下車することが大切。
  • いのちをだいじに。

この文章を書く気付きを与えてくれた記事

pha.hateblo.jp

inujin.hatenablog.com

初夏の京都ぶらぶら歩き

ちょっと無理のある日帰りKYOTO GRAPHIEの合間にフィルムで撮った写真たち。

ゴールデンウィーク明けの憂鬱を振り払い、絡みつく仕事を踏み潰してようやく現像ができた。GRIIIで撮った京都も素敵だったけどやっぱり自分はフィルムで撮った写真のほうが好き。デジタルだときっちり写りすぎて窮屈に感じてしまうのだ。自分にとっては、だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は全てLEICA M6, Summaron 35mm or Summicron 50mm 4th, VISION3

 

それにしてもフィルムで京都の写真を撮ったのって修学旅行で訪れた時以来だと思う。

あれから数十年。最後にデジタルカメラを持って京都を訪れたのが10年くらい前。すっかり外国人観光客の街になってしまい、日本人の僕らは端っこに追いやられた気分を時折味わった。

あの頃の僕が見た京都はどこに行ったのだろう。