analogue life

シンプルな暮らし

夢の中だけで会う男の子

遠くの山から届くアブラゼミの鳴き声は耳鳴りと混じり合い頭の中を駆け巡る。

大きな眩暈。台所から聞こえる家内の話し声と、手を伸ばせば届く距離から聞こえる幼い女の子の笑い声。そろそろ小学生高学年の男の子が帰ってくる時間だ。

うっかりソファで眠ってしまった。最後の記憶から時間はひどくスリップし窓の外は夕闇に包まれている。そういえば男の子に夕食に何を食べたいか聞くのを忘れていた。あの男の子はどこだ?

寝ぼけ眼でぐるりと部屋を見渡す。男の子がいない。一人足りないじゃないか。

目を覚ました僕はひどく混乱している。どんなに夢の残骸をひっくり返しても男の子の名前すら思い出せない。姿形はぼんやり記憶に残っているのに。

幼い女の子はキョトンとして僕を眺めながら「よく寝ていたねぇ」と不思議そうな視線を投げかける。

急いでかき集めた夢の残骸と数時間前の現実終点をつなぎ合わせ、あの男の子は僕の夢の中だけで会える存在だったことを思い出し、大きく深呼吸をする。彼はこの世の存在ではない。元々名前すらないのだ。

時折はっきりした夢を見る。

明晰夢だと理解している時はきまって例の男の子やいまの自宅の裏庭に存在しないはずの古い母屋が登場する。ディテールこそ毎度違うものの夢の中の母家は陽がさんさんと入るくたびれた木材の空間で、男の子は色白で物静かな子だ。

夢が人の記憶を整理する過程であるならばあの母家は僕が小さな頃に勝手口から素足で駆け抜けた生家がデフォルメされたものだし、男の子はもしかしたら僕自身かもしれない。

N0542020

ひどく気持ちが疲れて眠りに落ちていたと思う。定期的に訪れる社会と折り合いがつかない病だ。

子供が産まれてから、得体の知れない力がゆっくりと僕の土台を腐らせ心身の不調を来すまでに成長したこの状況を子育て開始から数年経った今はなんとなく説明ができる。問題は人の気持ちを真正面から受け止めすぎてしまう僕自身にあるのだ。

会社にいる狡い大人やポジショントークばかりする有名人の思考を容易く見抜く直感力が鋭すぎるのだろう、社会全体に対して簡単に疲れ切ってしまうのだ。純粋な子供の気持ちを真正面から受け止めてしまい、薄汚い社会や社会人との差に絶望してしまうのだ。

子供という純粋な存在が人生に入ってくることで、一人で生きている時は薄かった厭世観コントラストが強烈にどぎつく感じられるようになるのだと思う。

久しぶりに夢の中で会った男の子は、むっすりと黙って僕を見つめていた。