analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

癒しメディアとしてのラジオ 

まだ薄暗さが残る午前6時、半分夢の中にいる僕はベッドサイドに置いたラジオを手探りで探す。

スイッチをひねると1秒ほどの間を置いてスピーカーから賑やかな話し声が聞こえてきたのでダイヤルを掴んで周波数を落としていく。

 

89MHz...…話し声がノイズに変わる....…88MHz...…ノイズ……84.5MHz...…何やら話し声が聞こえた気がする...…たぶん83MHz...……優しい音楽が耳を掠める...…82MHz...すがすがしい合唱にダイヤルを回す手を止め、暖かい布団に手を引っ込めて再び眠りに落ちる。

 

30分くらい眠っていただろうか。

夢の中にピーター・バラカンさんの優しい声が届き今日が土曜日だということに気付いた僕は、脇の下で丸くなって眠る猫をふわふわ撫でてキッチンへ向かい、いつもより濃いめに淹れたコーヒーをたたえたマグカップをラジオの隣に置きベッドに滑り込む。

うたた寝の再開だ。

 

 

実は今週半ばから数日休みを頂いている。

数週間前に猛烈な虚無感に襲われ仕事へのモチベーションが完全に萎んでしまったのだ。やる気ねえのかよ!ってハッパかけられたら無言で俯いちゃうくらい今は何もやる気がなくメールを開くことすら億劫になり、会議室に行くにも一大決心が必要になってしまった。

 

行動する気力がないのに焦りだけが募る。このままサボるとやばいぞという恐怖感とあと何年この生活が続くのだろうという強烈な絶望感。滑って転んで無気力と恐怖と焦りのゆりかごに落っこちた感じがバーンアウト一歩手前っぽいヤバさを含んでいたのでまずは休むことにした。公私にわたって休みがなさすぎた。

 

「あと何年この生活が続くのだろう」という絶望感は、仕事場にフィットする能力が落ちている場合は特に重量感のあるパンチだと思う。

誰しも生まれつき会社や組織にフィットしているわけではなく多少の無理をして自身をフィットさせているのだが、あまりに無理をして元の形と違う形を演じていたり過労が重なると、自分自身がひん曲がっちゃうか場合によっては折れてしまう。

 

高校や大学には明確な卒業があるので晴れ晴れとした気持ちでリセットできるけれど、職業人生はそう簡単にリセットできないし、卒業したとしてもヨボヨボの年寄りになってからなのだから仕事にうまく人生を合わせてやらなきゃならないが、僕のように歪な形をしている人間にとってはこいつが中々ハードモードだ。

 

今週の僕はあと何年この生活が…に続いて「もう後に引けない年齢よね…」というワンツーパンチを喰らい、普段ならかわせる嫌味も無視も人を見下した(と思しき態度)もノーガードで全部食らって撃沈してしまったのだ

早く会社員人生から卒業したい。

RICOH GR III: もう一度学生からやり直せるなら本を書く人かラジオを作る人になりたかったな

 

そんな後ろ向き感でいっぱいの頭をどうにか空っぽにし、ベッドでゴロゴロ寝ながら日がな一日中ラジオを聴いていると、改めてラジオはとても優しいメディアだなぁって思う。

ラジオから聞こえる話題はSNSに溢れるようなポジショントークじゃないし、日本社会的ないじめの構造の片鱗が見え隠れするTVバラエティのようないやらしさもない。パーソナリティの声はいつも優しいし、面白い音楽がかかってる。ビジネス本のような思想の押し付けも少ないのもいい。世界の墓参りしてる人とか、東京で縄文人やってる人みたいな面白い人が自分の知らない話題を振り撒いているのもいい。

filmmer.hatenablog.com

まとまりのない記事になってしまったけれど、僕のように日々の生活に疲れてしまった人とかバーンアウト一歩手前に進んでしまった人はちょっと休みをとってみてほしいしラジオを見直してみてほしい。すごく癒されるから。

ラジオに興味を持ったらぜひダイヤル式のものを選んでみてほしい。

それにしてもいい加減そろそろ社会人卒業したいな。

今週のお題「卒業したいもの」