analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

言葉が溢れ始めた

師走の銀座をぶらぶらしながら行き交う人を眺め、自分の2022年を振り返っていた。

1年をマラソンに例えるなら、12月のこの時期はゴールに向けて最後の直線を走っているところだと思う。ヨレヨレになりながらゴールに向かっている人もいれば涼しい顔して走っている人もいる。とっくにゴールに辿り着いてのんびりしている人もいれば、猛烈に追い上げてくる人もいる。みんな師走している。

僕にとっての2022年は激坂とぬかるみと獣道を走り、途中道に迷って一旦休憩してダラダラしていたら復活して鬼追い上げしてゴールが見えてきたって感じ。もう一度同じ人生をやり直せと言われても2022年は二度とやりたくない。それくらい酷い年だったけど、どうにか無事ゴールに辿り着けそうだ。

うっかり死ななくてよかった。

記憶の底に押し込んだ2022年を恐る恐る振り返ってみると、ずっと可愛がってきた猫を2匹立て続けに亡くしたことと、ガバナンスが全く機能しない組織での消耗がピークに達してしまったことが一番きつかった。

これに全く言うことを聞かない子供の世話と子育てに疲れ果てた嫁と僕自身の気質、その他諸々を加えてよく混ぜて発酵させた結果が、あの激坂ぬかるみ獣道の正体である。

特に子育ては死ぬほどきつい。金も時間も無限に消費する毎日なので今の先行き暗い日本で子供持つなんて自殺行為だと思う。一人の時間が無いなんてノーリワード&ノーフューチャー。自民党しね。

これ以上苦しかった思い出を振り返るとその時の気温だとか交わした言葉、夜の湿気や病院の臭いのような微かな記憶が次々に紐づいて頭がおかしくなってしまいそうなので、ディテールは全て思い出のバケツの中に放り込んだままにしておきたい。

2022年は嫌なことばかりの一方で楽しいこともあった。

「街と人と」展に写真を展示できたのは素晴らしい経験だったし、仕事を辞めて1ヶ月間何にもしなかったのは何事にも変え難い休息だった。

きちんと額装した写真を展示するのは初めてで、トーテムポールギャラリーの床に並べた写真に想像以上に反響を頂き嬉しかった。同時に作成した小さな写真集も売れ行きが良かったのでぜひまた作ろうと思う。

写真展もまたやりたい。ほらほら俺をみて!ってのが嫌いなので個展は難しいけど。

展示会が終わった後、仕事を辞めた。

この一時休止の期間中に自分の気質を理解して向き合うことができたし、カメラをぶら下げて一日中好きなところをぶらぶらして好きなものを飲み食いし、ふと気分に暗雲が垂れ込めた朝はラジオ聴きながらベッドで過ごしていたら身体と身体がすごく回復した。思いつきで買ったTivoliのラジオがすごく優しい音で、ずっとベッドサイドにおいていたことを思い出す。

N0732022

ここからが本題。今振り返れば今年のはじめは明らかに心と身体が変だった。

今年の2-3月頃は人の喋っていることが理解できなかったり、本を読んでも内容が頭に入ってこなかったり文章を書くことも難しかった。当時は頭がぼんやりするなぁ…くらいにしか感じなかったんだけど、仕事を辞めて少し休んだら頭にかかっていた靄が晴れて行った。

9月頃に「最近ずいぶんブログ更新してるなぁ」と思った時には人の話がよく理解できるようになっていたし、本も昔のように読めるようになってきた。

言葉が溢れ始めた、そんな感じ。

病院が大きらいなので自分の身体と心に起きていたことは解らないけど、僕と同じ状況に陥ってる人って実はたくさんいるんじゃないかと思う。そしてその原因ってほぼ人間関係だとか自身の置かれた環境なんじゃないだろうか。

だからもし今学校とか職場で苦しんでる人は、できるだけお金を手元に残しておいてすぐに辞められるようにしておいた方がいいし、限界を超えそうになったら躊躇うことなく出ていった方がいいと思う。

自分を守ることは「逃げ」ではないのだ。

今週のお題ビフォーアフター