毎年のことだけど1月は仕事のスイッチが入らない。
やっと仕事モードに入ったかと思えば急にエンスト起こしちゃったりして。その度にどうにか仕切り直しを図るんだけどまたすぐに切れちゃう。コーヒーを飲んでもお茶を飲んでもだめ、うっかり酒でも飲んだら完全にスイッチオフだ。
この新年スイッチが入らない現象は年々ひどくなるので、仕事とか仕事の人間関係はそもそも社会に存在する毒なんだと思う。ビジネス書に書かれるような知識をお喋りして楽々こなせる人もいるけど、僕のような社会毒への耐性の低い人は生存本能が働くのだ。この社会は、あるいはいまの働き方は危ないんじゃないかと告げる役割が僕らのような人々にあるのではないか。炭鉱のカナリアならぬ人間社会のカナリアなのではないかとさえ思ったりする。
完全なる意気消沈と戦意喪失のため今月は写真を撮り歩けず、年末年始に撮り終わったフィルムの現像をし、ネガを眺めてまた深いため息をついている。
もっとスロウな生き方をしたい。
2024年の1カット目はこの写真だった。
水平線から登る日の出ではなく、ブラインド越しに差し込む元日の光。日差しが強くなりコントラストがはっきりとし始めたと思ったら部屋の中が光で満たされていた。
年始の空。
最近雲の写真をたくさん撮っている気がしてネガバインダーをひっくり返したら、2023年の夏頃から1ロールに数カットくらい雲の写真が紛れていた。ゆったり平和に浮かんでいるように思える雲も「いま」を生きているのだ。あっという間に形を変えてしまう。もののあはれを雲に感じるのは歳をとったから。たぶんね。
そういえば年末は本棚の整理まで手が回らなかった。
同じ雑誌が1冊だけ飛び地に格納されていたりするしジャンルごとに分けられたりなんてしていない。世間的にだめかもしれないけど僕は探す楽しみがあっていいと思う。そしてこの子供の工作がいつ見ても可愛いので、つい本棚に飾ってしまう。
ブラインド越しの光だとか木漏れ日はずっと眺めていられる。
ソファーに寝転んで金曜昼間のラジオを聴きながらぼんやり眺めていたら、そのまま寝落ちてしまった。仕事もこれくらいスロウな時間の流れならいいのに。
優しさって大切。優しさを求める人を受け止めることはもっと大切。
2024年の仕事が始まる前に撮った写真は見事に僕の心を写している。
まだ何もしていないのに既に折れちゃっている。僕のような気分で新年の仕事を迎える人って実はたくさんいて、大多数がじっと耐えてるのかもしれない。僕のように口に出さないだけで。
写真は全てBESSA R3A, Summicron-M 50mm F2, Kodak Double-X
そうは言っても精神を消耗しながら耐え続けると突然燃え尽きちゃったり病気になったりするかもしれないから、不安とか居心地の悪さに耐えてみんなと痛みを分かち合うことは全然美徳じゃない。
本当の働き方改革があるとしたら日本人一人一人が「寛容さ」を持つことなんじゃないって思う。もっと社会がスロウになって人に対して寛容になったら、この社会はもっと居心地が良くなるんだけどなぁ。
*この記事はここでおしまいです。
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