analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

長い休みが終わる

もうすぐ無職期間が明ける。晴れて社会復帰だ。

とはいえこの1ヶ月完全に自分のためだけに生きていたので、どんな服着て家を出れば良いのか仕事仲間とどんな口調で会話をすれば良いのか全く想像がつかない。

社会人になってそこそこ長い期間が経っているはずなのに、ちょっと休んだだけで社会のマナーやルールがすっかり抜けてしまうということは、日本社会のマナーがいかに人間の本質から大きく離れたところにあるのかを物語っているようだ。

N0652022

この長期の休みがポンと降ってきた時、関西方面のギャラリーを見に行こうかとか温泉行こうか、それとも青ヶ島もいいな…なんて色んなアイディアが出ていたのに、結局何も実現できなかった。

ソス展に何度も行った以外本当に何もやっていない。

毎晩一緒に寝ていた猫との死別が2件続き、ずっと緊張の連続だった仕事のプレッシャーから急に解放された瞬間に人生のエアポケットに落ちたように色んなものが切れてしまった。

自分でも信じられないくらい疲労が溜まっていたのだ。

さぁ休みを満喫しようと思ったら身体が動かなくなってしまったので、毎朝遅く起きてカメラ持ってぶらぶら出かけ、海でぼんやりして帰ってきて湯船に浸かり灯りを落とした部屋でラジオを聴いていた。湘南ビーチFMから23時55分頃に流れる「おやすみなさい」という一言を聴いて寝る生活だ。

どこにも出掛けていない代わりに料理道具を一つ追加した。

長いこと気になっていた山田工業所製の中華鍋だ。我が家にはTurkの鍛造フライパンがあるが、あれは肉を焼くために特化したようなフライパンなので、塊肉を焼くと抜群に美味しく仕上がる一方で使い勝手があまり良くない。

山田工業所の中華鍋を使って野菜炒めや炒飯を作るとまるで別物のように仕上がる。嘘のような話だが、雑誌の受け売りでもなく本当の話だ。これについてはまた別に書こうと思う。

この一ヶ月を振り返って「だらけていた」と表現することは簡単だ。

だがその一方でまったくやる事がない長期休暇を過ごしてみたら、間違いなく体調はよくなったのだから今思えば必要な休息だったのだ。

ストレスが激減したら食欲が自然となくなって体も軽くなったし、「この人何考えているんだろう?」と人の気持ちを詮索する必要がなくなったら自然と気持ちの疲れも消えた。なにか取りこぼしがないか予定すっとばしてないかと不安になる必要がない生活は本当に気が楽だった。

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この一ヶ月の気づきをまとめると、詰まるところ次の6つになると思う。

  1. 労働は気付かぬうちに私たちの身体を壊し人生を台無しにする
  2. コロナ禍の同調圧力は想像以上に心を疲弊させてしまった
  3. 休息とは誰かと過ごす時間ではなく一人で自身と向き合って過ごす時間だ
  4. どんなに休んでも心のモヤモヤは消えずむしろ増幅する
  5. スマホSNS、テレビやYoutubeは想像以上に心を蝕む毒物だ
  6. 写真を撮るには体力と時間が必要だ

この長い休息の間、遠くへは行けなかったけどたくさんの海の写真を撮った。随分溜まってきたので一度写真集としてまとめてみたいと思う。

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