analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

ぽつんと暮らしたい

ぽつんと暮らしたい欲が最近盛り上がっている。生活全てを一気に移すとなると大変なので小屋くらいのサイズの住処を人の手が届かないところに持ちたい。

ソロキャンプが流行ったからだとかポツンと一軒家がすごい視聴率を取ってたから…と言う理由ではなくて、ここ数年ぼんやり考えていた「都市で暮らすのってなんか違和感あるなぁ」と言う思いが少しずつ輪郭を伴った確信に変わってきたんだと思う。

その昔9.11テロが起きた時はアメリカとアルカイーダの問題から先に発展しなかったので東京で暮らしている僕らの生活はほとんど変わらなかったんだけど、リーマンショックあたりから地球のどこかで起きたいざこざがグローバル化の波に乗って地球のあらゆるところに輸出されるようになってしまった感がある。

解決の難しい本当の問題と容易に解決できるビジネスとしての問題

ここ数年の地球温暖化、脱炭素、脱化石エネルギー、海洋プラスチック、コロナ禍を眺めていると確かにどれも問題といえば問題だけど、そのどれもが表層的な問題に過ぎず(悪くいえば)流行のファッションのような問題であり、その解決に為政者が必死になるがあまり都市で生活する人々の生活様式が無理やり捻じ曲げられてしまっている。

買い物をすれば袋代を取られるようになりマスクをしなければ後ろ指を指され、買い替えサイクルが早いEV車を押しつけられ、災害に弱いオール電化の住居を押し付けられているのが現実なのだ。小さな問題と大きなビジネスチャンスの抱き合わせ商法と言ってもいいかもしれない。悪い言い方をすれば、ある程度イノベーションが出尽くした状態で資本主義をドライブするには問題を焚きつけて消費を促すよりないのだ。

本来ならば多くの人の今と将来へ暗い影を投げかけている所得格差の問題だとかグローバル資本やGAFA野放し問題、増大するだけのエネルギー消費の問題を解決すべきなのに、どの国の為政者もこの大きすぎる問題には手を出せず、僕らの生活にさまざまな規制をかけることで目の前にぶら下げられた簡単な問題を解決することに躍起になっている。

太陽光パネルを並べようがリチウム電池を押し進めようが、電力に依存する社会そのものを変えなければ問題は解決しないのに相変わらず通勤電車は止めないしリニアモーターカーは撤回しないし、スマートフォンタブレットの数も減らない。

そしてとても滑稽なことに、生活や行動に規制をかけられているはずの僕らの一部は為政者の行動に賛辞を送っている。屠殺前の豚が食肉工場の社長を賛美すると言う例えがとても合っている。コロナ禍で浮き彫りになったように、そんな人々が一定数以上いる。

都市で暮らす以上、この一蓮托生感から逃れられない

田舎育ちの自分は田舎暮らしが大変なことは重々承知しているが、このまま都市部にとどまったところで年々増す生活コストときつくなる規制のせいで人生の豊かさは駄々下がりなのは明白なので、人の手の届かないところに住処を持ちたいと思うのである。

最初の話に戻るけど、できればポツンと生きる拠点が欲しいという思いはこの一蓮托生感から解脱したいということなんだろう。

いきなり人里離れたところに小さな土地買って小屋立てて…ってのもいいけど、三浦半島あたりの山を買うってのもありだ。どうやって距離を取るかは少しずつ考えよう。

え?お金?そういえばお金なかったな・・・。