analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

白昼夢もしくは明晰夢、断片的で手繰り寄せられないもの

この世は夢なんじゃないかと思うことがある。

何を寝ぼけたことを言ってるんだと鼻で笑われるかもしれないけれど、あまりに慌ただしい日々を見切り発車でこなしているうちに時間があっという間に飛んでいき、目の前を過ぎていったことをはっきり覚えていない。

一部の記憶ははっきりしているのに、曖昧な記憶が強い記憶をかろうじて繋いでどうにか一日をまとめている。強いコントラストの記憶と曖昧なグレートーンのような記憶。この世界はまるでモノクローム写真のようだ。

昔がどうだったかなんて覚えてないけど、おそらく歳をとって脳が少しずつ衰えてきたんだろうと思う。歳を重ねるに従ってシーンの記憶がぶつ切りになっていって、死が近くなる頃にはこの世と夢がごちゃ混ぜになるのかもしれない。

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LEICA M6/Summaron-M 35mm F2.8/Kodak 5222

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LEICA M6/Summaron-M 35mm F2.8/Kodak 5222

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LEICA M6/Summaron-M 35mm F2.8/Kodak 5222

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LEICA M6/Elmarit-M 90mm F2.8/Adox CHS100

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LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Adox HR-50

夢で見た景色をフィルムに焼き付けたい、とでも言えばいいのか、数年前から自分の撮る写真は抽象と具象の間をふらふらしている。

世間的には「今」に焦点を当てることが良しとされるのかもしれないけど、可能な限り時代性だとか都市の痕跡や手垢のようなものを外していき、夢のいちシーンで眺めた曖昧な美しい記憶と結びつける写真を撮りたい。人は群衆という背景だしマスク姿の群衆は写したくないし時代がわかるファッションも写したくない。色もいらない。

 

素晴らしい夢から覚めた時、私たちは必死に夢の残骸をかき集める。

美しい夢の記憶はどんなに手繰り寄せようとも掬った指の隙間からこぼれて消えてしまうけれど、時折ほんの僅かな美しい夢の断片が手のひらに残っている。曖昧で前後の関係から隔絶された美しい写真。そんな写真を撮りたい。

夢の中で見た景色を探すことはおそらく究極の私写真だと思う。もしかしたら誰にも理解されないかもしれない。

「白昼夢もしくは明晰夢、断片的で手繰り寄せられないもの」

ディテールが曖昧なモノクロームフィルムはこのテーマに最高の道具だ。