めちゃくちゃな組織の仕事で忙殺されコロナや脱炭素騒ぎで心の安寧が奪われ続けた2022年から心機一転、2023年は今までやってきたことを一歩前に進めたり新しいことをやってみたい。
達成できそうなことも無理っぽいこともあるけど、まずは書き出してみる。
夏休みをとる
振り返ってみたら社会人になって以降纏まった夏休みを取った記憶がほとんどない。
そんな馬鹿なと自分でも思うけど、多分一回か二回くらいしか夏休み取ってないし盆もちゃんと休んだ記憶がないので今年の夏は10日くらい休んでしまおうかと考えている。
帰国時のワクチン規制という馬鹿な決まりが緩和されていたら、子供を飛行機に乗せてどこかに連れて行ってあげたい。嫌だって言われたら一人でリュック背負ってどこか行こう。久しぶりだ。
許されるならインドに行きたい。それか瀬戸内海をふらっと歩きたい。
テントを買う
小さなテントを買って春先と秋は自然に帰りたいと考えている。
Asgard Tech Miniかテンマクデザインのパンダが今のところ候補。テント持って仕事場に行ってそのまま家に帰らないという働き方も面白いかもしれない。先日知り合った焚火趣味の同僚とふらっと山に行って酒飲んで談笑して帰ってくるとか面白そうだ。
テントを買うことは命の洗濯板を買うようなものかもしれない。
無駄なものを買わない
僕はどちらかといえば宵越しの銭を持たない派だったと思うんだけど、これからは無駄なものを買わないようにする。
手元資金が潤沢にあるということは自由度が高いということなのだ。これ以上労働の奴隷になると人生を棒に振ると思う。
写真集を作る
去年の「街と人と」展に合わせて制作した写真集、Awakening from Slumberは好評を頂けて嬉しかった。
テーマありきで撮っているからか内容がちょっと暗い。残り部数わずかではあるけれど増刷はしなくていいかなぁと考えている。
今年は純粋に美しいと思える写真をまとめた写真集を作りたいと思う。手に取った人が定期的に開きたいと思うような、あるいはページを切り取って額に入れて飾りたいと思うような写真集を作りたいと思う。
海に帰る
5年のブランクを経てサーフィンを再開したい…と思うんだけどこれは無理かもしれない。
僕は諦めが悪いのでいい波に乗れないと帰りたくないし、いい波に一本乗ったら二本乗りたいし二本乗ったら次はもっと…になるのが目に見えている。一度始めたら夏休みも写真もキャンプも旅行も子育ても全て後回しになること請け合いだから。
…でも、でも本当は日がな一日中波乗りしていたい。波に乗るのは人の根源的欲求だと思う。みんな気づいていないだけで。
写真展をやる
去年の「街と人と」展はとても楽しかった。ダイレクトな評価をいただける場所として写真展はとても大切だと思うし、何より人と交流できることが面白かった。
人に見てもらいたいとか有名になりたいという欲求があまりないので、撮った写真をこっそりプリントしてイヒヒウヒヒしてるだけで幸せなのだが、写真展での人との交流は不思議な楽しさがある。
忙しすぎて作家不在廊になることが目に見えているけど…やれたらいいな。
プリントを販売する
これもそろそろ手をつけたい。
ECサイト立ち上げて、手元のプリントを欲しい方にお譲りしようと思う。エディションひとつかふたつを手元に残して、残りはお譲りした方がプリントも喜ぶだろう。印画紙の箱に押し込められているのはあまりに寂しいだろうし。
5年後の人生を真剣に考える
答えがない。あるいは急にひょっこり答えが出てきてしまうかもしれない。
予想以上の速さで日本社会がダメになる予感が確信に変わりつつある。
将来の収入や仕事のこともそうだし年金はもう絶望的だろう。義務教育は相変わらず費やす時間の割に得るものが少なく、民間に丸投げしてる感がある。
移民も増えるだろうし社会全体の美意識は下がり貧しさが広がる結果、土地は細切れにされ醜悪な建売住居が街の景観を破壊するだろう。大きなお屋敷がなくなり庭木がゴミのように切り捨てられ、密集した新建材の安っぽい住宅だらけの街になるのは何より我慢ならない。
政治や警察の腐敗も始まっているように見えるし、地方行政の機能不全は首都圏に及ぶかもしれない。
地方都市が高度経済成長の発展から転げ落ちる過程を見てきた我が幼少を思い出すと、これは極端な話ではないと思う。
これから日本が豊かになるとは思えず、変わることを拒む国民性が先人の積み上げた負の遺産を延命させるのだ。日本の凋落は国民性と社会の構造によるものが大きいので、向こう数十年では改善できない。
とは言えヘンテコなリベラルに支配されているいまの世界に自分の身の置き場があるとも思えず、今すぐに自分の生き方を変えられないと思うのでしばらくは地力を蓄えることになるのだと思う。
特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」