今までずっと広角レンズが苦手だと思っていたのに、うっかりSuper Angulon 21mm F3.4を買ってみた話の続き。
最初の1ロール目を撮って感じたことは、長いこと苦手だと思っていたのは広角レンズ全般の話ではなく28mmという画角であって、そこから更に一歩踏み込んだ21mmは意外にも嫌な感じがしなかった。むしろ好きかも…というところまで前々回の記事で書いた。
そこから1ヶ月程使ってみて、その「好き」の内訳が言語化できてきたので、一度文章に纏めてみようと思う。
ちなみにSuper Angulonと書いてズーパーアングロンと読むのがドイツ語として正しいらしい。スーパーじゃないのよ。
LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Fuji ACROS II
超広角は客観的な画角ではない
世間では凝視した画角が50mmの世界で両目で漠然と捉えた世界は21mmの画角だと言われていたらしい。
言い換えれば前者は主観的で後者は客観的な画角と言えるかもしれないが、主題を定め2歩3歩と被写体ににじり寄ると、21mmのレンズは決して客観的な画角ではなくむしろ主観的なレンズだと思う。
必然的に被写体と中心に置かざるを得なくなるが、周囲の世界に強烈なパースがかかるため、主題とその周りの世界がこれでもかと強調されるのである。
逆に被写体に遠慮して2歩3歩と後退りすると途端に極度につまらない絵になるのが面白い。前進あるのみである。
またパースの話と若干被るけど、このレンズは使い手のアイレベルの違いが写真に表れるので、小さな子供だとか2メートル超の大男が使うと面白い写真が撮れるんじゃないかな。
LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Fuji ACROS II
水平垂直の縛りから解放される
前述の通りパースが強烈にかかるため、水平を取ることはできても水平と垂直を同居させることは難しくなる。
言い換えれば水平垂直の縛りから逃れることができるわけで、小津映画を見すぎて障子の格子がきちんと写っていないと我慢ならない私のように、水平と垂直がきっちり取れていないとムズムズする人にとって、ある意味画期的なリハビリ療法のようなレンズだと思う。
強烈に水平が意識される海だとか、垂直に意識が向けられる彫刻が相手となるとやっぱり水平垂直が気になるが、縛りが少しでも弱まると途端に水平も垂直もどうでもよくなり、ある意味楽なのである。
LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Fuji ACROS II
LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Kodak Tmax400
ストリート寄りのレンズかもしれない
なんて偉そうなこと言っておいて、ストリートフォトのことをあんまり分かってないんですけどね。
街中で撮ったクソつまらないテキトーな写真を「ストリートスナップ!ストリートスナップ!」って言ってるのを聞いてムカついちゃう程度にわかってない自分からすると、超広角で切り取るストリートってとても面白いと思うんですよ。
前述の通りこのレンズは2歩、3歩と対象に寄らないと途端に退屈きわまりなくなるので、思い切って前に出てシャッターを切るヒリヒリ感も良いのではないかと。
LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Fuji ACROS II
LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Fuji ACROS II
LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Fuji ACROS II
小さくて軽くて、美しい。
これはまったくもって主観の話。
昨今の馬鹿でかくて重い一眼レフとそのレンズ群と比べちゃうと、ライカMとSuper Angulonの組み合わせは驚くほどコンパクトで無駄がない。変なボタンもなければレバーもないし印字もなく恐ろしくシンプル。
もう絶対失敗できない場面なんかはニコンデジタルの独壇場だと思っているけど、そんなヒリヒリする場面以外はもうライカがあればいいんじゃないかなと木村伊兵衛みたいな心境になりつつある。