analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

写真がフェイクになる時代

「最近のiPhoneで写真を撮ると変な味付けされた写真になるよね」と家内が言うので、少し考えた後に「あれはフィクションだから」と返した週末のやり取りがずっと気になっている。

 

最近のiPhoneのカメラの進化は目覚ましいものがある。

今のiPhoneを使って暗いところの写真を撮ると長時間露光になって一瞬焦るけど、なぜか手ブレの少ない綺麗な写真が撮れている。

iPhoneはユーザーが気付かないうちに勝手にブラケット撮影をやっていて、短時間露光4カット標準4カット、長時間露光の1カットの計9カットを機械学習(Deep Fusion)が合成して一枚の絵に仕上げているのだ。たぶん他のスマホも似たようなことをやってるのだろう。機械学習が差分を計算して最適解をピクセル単位で再構成する仕組みなので、AIお絵かきの親戚のようなものだ。

ひどく酩酊して夜中に撮った写真を見てほしい。

一枚目はiPhoneのカメラアプリで普通に撮ったもので二枚目はProCamで息を止めて撮ったもの。酩酊しているので一枚目は確実に手ブレしているはずなのに、Deep Fusionの力でここまで綺麗に補正されている。

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家内が言う「綺麗なんだけど何かが不自然」という感想をさらに掘り下げていくと、その根っこにあるものはこの薄い明暗差とディテールの明瞭さなのだと思う。

僕らが知覚している風景は2枚目の方がより近い一方でアニメやゲームの世界が描く描写はDeep Fusionが作る1枚目の写真の方が近い。

Deep Fusionには闇側のトーンがないのだ。

闇とは面白いもので、しんと冷えた新月の闇もあれば茂みの奥に佇む吸い込まれそうなドスンと重い闇もある。ほのかな暗がりから真の闇まで闇にもトーンがあるのだがDeep Fusionには闇がない。闇が濃くなるほどディテールはうすぼんやりとし、そこに人の想像力が生まれる。想像が生み出す産物、恐怖だ。

田舎の育ちの僕は夜の闇の深さをよく知っているつもりだが、スマホのカメラを設計する人や最先端のスマホカメラを使う世代って、闇の深さを知らないのかもしれななぁと思うのと同時に、これから4,5年くらいで写真の立ち位置はがらりと変わるのかもしれないと思い始めた。

存在しない人間の写真をAIが作り、そこに声が付いてきたらもはや画面の向こうにいる人が人間である保証はなくなる。

相対する人が人である必要すらなくなる訳で、少し前に「AIにより仕事が奪われる」なんて論調があったけど、そこからさらに一歩進んでAIは人間の尊厳そのものを揺さぶろうとしているのかもしれない。