analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

猫が変えた人生

人生が変わった瞬間ってなんだろう?

いまこうやって文章を書いている一瞬一瞬でも自分の身体は微小に変わっていて、今日一日を切り取ってもたまたま会った人や見聞きした物事によって僕らの人生って勝手にどんどん分岐していくものなのだと考えている。

ニュースに腹を立てたり小説や写真に感動したり、ラジオDJの一言にハッとさせられたり。ほんの僅かな変化かもしれないけれど、僕たちは日々色んなインプットを受けて人生が微調整され続けているはずだ。

自分の人生の中で微調整に収まらない大きな転換点になった出来事といえば、とりわけ大きかったのは3匹の野良猫を拾ったことだと思う。

当時の僕は家になんてほぼいないし、酩酊して自爆事故で植え込みに飛び込んだり急にリュック背負ってどこかに行ったりとまぁ好きに生きていたし、大体ほとんど毎日酩酊していたし、本気で巨匠建築家になるなんて信じてたし、目標は日本を出て好きに生きることだった。多分にだめな人の典型だと思う。

 

そんな僕の家にある日野良猫が遊びにくるようになった。

愛嬌のある白黒猫で、縁側で酒のつまみにしていたちくわを分けて一緒に飲む日が続いていたのだが、ある時期を境にぱったりと家に顔を見せなくなった。

音沙汰が無くなり二週間くらい経った頃だったと思う。

「あの猫、どこかで轢かれて死んじゃったな…」なんて考えながらキッチンで酒を飲んでいたら、勝手口にあの白黒猫がとても嬉しそうな顔で座っていた。しかも後ろには小さな子猫たちがはしゃぎながら後をついてくるではないか。あの白黒猫はお母さん猫になって帰ってきたのだ。

あまりに嬉しそうに子供を見せにくるこの白黒猫が愛おしくて、僕はこの猫を受け入れることにした。

牛に引かれて善光寺参り、と言う諺がある。

当時を振り返ってみると、この猫の家族を我が家に迎えることになってから色んなことが変わっていったと思う。このお母さん猫の太い尻尾はぐにゃっと曲がっていて、どうもこの鍵尻尾が色んな運命を引っ掛けて我が家に持ってきたようだ。

僕は夢を放り投げてまともな仕事(今思えば糞みたいな職場だったけど)に切り替え家に居着くようになり、気がついたら結婚することになっていた。ぼんやり猫を撫でていたら数年後に子供まで生まれていた。夢はなにひとつ叶わず、むしろ平凡の谷に突き落とされたとも言えるけど、過去の自分の生き方を続けていたらもっとひどいことになっていたかもしれない。

白黒柄の太めの猫だったので牛に見えなくもないが、まさに猫に引かれて人生大転換、である。

 

 

とはいえ楽しい時間は永遠には続かない。

僕たちの人生は電車の乗客のようなもので、どこかで誰かが乗ってくれば急にふと席を立って下車してしまう人もいる。我が家に多くのものをもたらしたこの白黒猫と茶色の猫は今年の初めに天に召した。彼女たちの終着駅だったのだ。大袈裟かつ自分勝手な解釈をすれば、僕の人生を変える使命を持ってやってきたのかもしれない。

僕の酒浸りぶりは変わらないけど、酒がなかったらこの白黒猫と仲良くならなかったと思うのでこれはこれで次の人生の課題だろう。

またどこかで似たような柄の毛皮を着てうちに遊びにきてくれたらいいな。

その時はまたちくわを出すから反応するんだぞ。

 

今週のお題「人生変わった瞬間」