子供の頃、大人が口にする「しょうがないね」という言葉が大嫌いだった。
戦争に負けたのも自分の人生がうまくいかなかったのも、身近な人を亡くしてしまったことも近所の寄り合いで気分を悪くしても「しょうがない」で済ます大人を見て、なんと無責任で無気力なんだろう、なぜもっと悪あがきしてごねて我儘を通さないのだろうと憤りを覚えたことを覚えている。
そんな思いを胸に大人になった僕は、世間一般に比べて相当我儘な生活をしている部類に入ると思う。大都会の生活は我儘に寛容だ。やもすれば持て囃されることすらある。
とはいえ世の中には本当にどうしようもないこともあって、どうにかその負の感情を断ち切るためにはこの魔法の言葉を唱えるしかないのかもしれない。世の中にはあらゆる努力をしても悲しい結末を変えられないことがたくさんある。
「しょうがなかったのだ」
無意識に僕の口からこぼれたこの言葉は他の誰でもない、自分に言い聞かせるために用意された言葉なのだ。
HASSELBLAD 907X/XCD 45mm F4
一匹の猫が死んだ。不思議な猫だった。
一緒に暮らす他の猫を取りまとめ人間との間の橋渡しをした猫であり、人間同士の間も取り持った猫だった。子はかすがい、ならぬ猫のかすがいだった。この猫が僕達の家に上がり込んだことが今の家庭のきっかけになった。たくさんのお土産を尻尾にぶら下げて我が家に転がり込んだ猫だった。
でも病気には勝てなかった。
こればかりは誰が決めたことでもない、どうしようもないことだったのだ。しょうがないことだったのだ。
また生まれ変わってうちにおいで。似たような毛皮を着てくるんだよ。
とりあえず、一旦さようなら。