フィルム写真とは関係ない話。突然だけど僕はラジオが大好きだ。
一応我が家にもテレビなるものがあるけど、事件事故だとか地震があった時くらいしか地上波放送を見ないので、稼働時間は1週間のうちで1時間くらいだ。
自分の過去を振り返ってみると、(変な表現だけど)きちんとテレビを見ていたのって風雲たけし城、徳川埋蔵金発掘、電波少年、筋肉番付と料理の鉄人くらいだった。ウゴウゴルーガとかその後色々あったと思うんだけど、小学生の頃には既にテレビに飽きちゃっていて、学校の会話がテレビの話題になるとそっと輪から離れていた。
子供ながら「いたたまれない気持ち」を抱えて生きていたんだと思う。すまん、僕は話の輪に入れない、なんて感じ。
テレビに飽きちゃった理由
小学生にしてテレビに飽きちゃった理由はいくつかある。
まずひとつ目が子供の目から見てもテレビの企画が安っぽく見えてしまったこと。笑うポイントでテロップ出されて「さあ笑え!スタジオも笑ってるぞ!」と誘導されるのがとても安っぽくて馬鹿馬鹿しくて、行動を強制される感じがとても嫌だったしそもそも面白くなかった。子供の時分、近所に最高におもしろいトークを繰り広げるおやじがいて、そっちの方が遥かにキレがあったのだ。
ドラマも安っぽかった。演技もストーリーも安っぽくて、すちゃらか音楽と共に急に入ってくるおちゃらけシーンでヒロインが目をひん剥いて「ちょっと待ってよ!」なんてやる日本のテレビ局が放つ様式美が、最後に半音上がる歌謡曲の様式美のようで胸焼けしてしまったのだ。
ふたつ目は嫌悪感の原体験のようなものだ。
中学生の頃にとある老人ホームを訪れた際、通された先のリビングはこれでもかと暖房をたかれていて、入所した高齢者が死も間近のような表情で口をぽかんと開けてテレビを凝視していた。
ひとりふたりではなく全員がそうなのだ。墓場鬼太郎の幽霊列車に乗った乗客のように、うつろな目をしてテレビをじっと凝視する。ときどき乾いたあくびと笑い声のようなものが耳に届き、エタノールと小便の臭いが鼻腔をくすぐる。燦々と届く陽光はカーテンで濾過されて床を照らしていて、浮世から離れた静謐な世界になるはずだった場所をみのもんたの思いっきり電話が切り裂いていく。
電話の先でメソメソしている女性をみのもんたが容赦なく追い込み、アシスタントがホワイトボードに背景情報を細大漏らさずに書き上げる。ホワイトボードを見ながら常識人ぶったゲスト出演者が遠距離から石を投げ込むこの図式はまさに日本社会に蔓延るイジメの構図で、日々どこかの会議室で行われていることだと知るのは十数年後のことである。
そんな日本社会の事情を知らない子供の時分であっても、この陽光に溢れた平和なリビングと未来のない老人の世界と思いっきり電話が作り出すおぞましいコントラストが強烈に記憶に焼き付いている。
気がついたらラジオ生活だった
そんな訳だから中学生の頃には既にテレビとは縁が遠くなっていた。
茶の間にいればテレビがついているので見るけど、自分のテレビが欲しいと思ったこともないしむしろ本とラジオの方が面白いと感じていた。
テレビは各局横並びで独自路線なんてものは既になかった一方で、ラジオからは聴いたこともないような音楽や話題が流れていて面白かったし、テレビは目と耳が奪われてしまうけどラジオならギターの練習しながらでも本読みながらでも聞ける。
長々書いてしまったけど、ラジオってやつはどこで聴いてもいいし常に集中しなくてもいい。正しさの押し付けもしないし、批判や議論のようなもので溢れているわけでもない。醜さを売り物にした芸人がいるわけでもないし、消費をけしかけることもしてこない。そんなメディアなのだ。
テレビがひたすらに画一的で権威的であるのに対して、ラジオはどことなく自由なのだ。この自由さが自分の生活や価値観に合っているんだと思う。
加えて思春期男子の耳と脳にはFM局のパーソナリティお姉さんの声がやばいくらい響くのである。なにひとつエロい話はないのに、なぜあんなにも思春期の男子の脳にはセクシーに響くのか今持って謎であるが、自分が声フェチなのはこの原体験によるものだろう。
最近よく聴いている番組
盛りのついた思春期の頃はおねーさんパーソナリティの番組ばかり聴いていた自分だけど、年を重ねてふと気づけばおじさまパーソナリティの番組ばかりが部屋で流れている。
仕事でくたくたになって帰宅した夜はテレビを見ていると目と心が疲れちゃうので、部屋の明かりを落としてラジオに耳を傾けてほしい。
InterFM Tokyo Moon 日曜日 17:00-18:00
松浦俊夫さんのキュレーションのよる1時間番組。気鋭のクリエイターの音が詰まってて良い感じ。トークは殆どなくCMも少なめ(なかったかも)で1時間きちんと音楽を浴びることができる良い番組。
湘南ビーチFM Nupholia 土曜日 23:00-24:00
もうひたすらグルーヴで迫ってくるディープな1時間。土曜の夜に飲みながら聴いているとすごくいい感じ。1時間じゃ足りない。マーセラスが選曲やってくれるバーとかあったら入り浸りそう。こちらもCMなしなのが良い。
InterFM Barakan Beat 日曜日 18:00-20:00
松浦さんの番組の後に続くピーターさんの番組は60-80年代の色褪せないクラシックに新しい音楽が程よくミックスされていて、毎週聞くたびに発見がある。
リスナーも年季の入った(?)大人ばかりなので、ピーターさんが読むお便りもクオリティが高い。
Jwave Travelling without moving 日曜日 20:00-21:00
すっかり長寿番組になってきた感がある野村訓市さんの番組。とつとつと喋る訓市さんのトークも素晴らしく選曲も日曜の夜にぴったり。
曲と曲の間に野村さんのエッセイが流れてくる。そんな番組なのでトークが多いけど所謂トークショーみたいにならないところが良い。
NHKラジオ第 ラジオ深夜便 毎日 23:05-
NHKの長寿番組。音楽を聴く気分じゃないけど誰かの声、話を聴いていたい時の夜のお供。時々突拍子もないゲストが出てくるのが面白い。世界の墓参りをしているカジポンさんだとか低い山に登り続ける人の話だとか、急に歌い出す学者が面白い。
湘南ビーチFM Shonan Breeze 日曜日 12:00-18:00
何もすることがない日曜日の昼下がりに、ビール片手にぼんやり窓辺で聴くのにいい感じ。
選曲もトークもCMも何かに急いでない感じが良い。日曜日の昼下がりからサザエさん時間まではメンタル急降下時間なので、この番組に随分救われている。
BBC Radio3 Night Tracks - 23:00-(GMT)
その番組名の通り、夜の音楽。
明かりを消してベッドに横たわり夢の世界に入るまでの優しい音楽。トークもCMもなし。導入部の耳障りの良いアナウンスからして素晴らしい。日本からはBBCのアプリから聴くかPodcastとして聴くことになる。
ラジオの未来について
フィルム写真と同様にラジオ業界の将来もあまりぱっとしないようだ。
業界規模は1991年のピークのほぼ半分まで落ち込んでいて、このまま従来の広告主体のビジネスモデルを転換しない限り遅かれ早かれなくなるメディアだと言われているらしい。業界はここ10年くらいの間にサイマルラジオやRadikoを立ち上げたり、地方のミニFMの登場により門戸が広く開かれたと思う。
業界が頑張っているのだから、僕らみたいなリスナーがもっとラジオの魅力を世に広めていかなければならないと考えている。
繰り返しになるけど、ラジオはどことなく自由で画一的な価値観を押し付けるテレビとは違う心地よさがあるのだ。この魅力を伝えようにもblogを書くことくらいしか自分にはできないけれど。