analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

ものを書くことは自由なこと

日曜の夜にラジオから流れてきた言葉が脳裏に焼き付いたまま残っている。

このラジオだって僕一人では絶対にできません。ところが書くという行為は書くものさえあれば誰の手も借りずに完成させることができます。たとえ字が汚くても紙が安い藁半紙だったとしても、書かれている内容はその影響を受けません。

(中略)

書くことがないという人がよくいますが、それは慣れていないだけです。

どんな人にも1日24時間があってその中には必ずかけることがあります。1日家から出なかった何もしなかったという人でも書くことがある。

日曜の夜は早めに夕食を済ませてだらだらと酒を飲みながら考え事をしたり、本を読みながら数時間後にやってくる新しい一週間のことを考えて憂鬱になっている。

ぼんやりのお供はいつもラジオで、昼から17時までは湘南ビーチFM、17時から20時まではInterFMで松浦さんのTokyo MoonとPeter BarakanさんのBarakan Beatと続く。引用した話は20時からJwaveで放送している野村訓一さんの番組の中で彼が喋っていた一節だ。

www.j-wave.co.jp

書くことの引き合いに出されていたのは、彼の本業である内装デザインだとか写真家の仕事だ。

これらの仕事は協業する人だとか相手がいるわけだから、一人で成立する仕事ではない。仕事をお願いする相手もいれば驚くほど感性の合わない人がお客さんだったりする。

僕はずっと建築家を目指していたけど、独立しようにも僕に仕事を任せてくれる人がいるわけでも実家が太いわけでも嫁の稼ぎがあるわけでもなく、好きなようにやらせてくれる客がいるわけでもなかったし家族に貧しい思いをさせてしまうことが耐えられずにやめてしまった。

ずば抜けた才能があるわけでも、自分も引き上げてくれる人との出会いもなかったのだから仕方ないと思っている。

その一方で未練たらしく過去を引きずり、何かを作りたくて仕方がないから一人でずっと黙々と写真を撮っているのだ。風呂場でフィルムを現像して家でプリントしているのも、過去を断ち切れない女々しい男の自己満足だと思う。

風景だとかストリートの写真は協業する人がいるわけでも、納入する会社があるわけでもないから自由に撮って自由に発表してりゃいいのだ。物を書くことと同じくらい自由にやっているけどいつまでも一人で写真撮っていたって仕方ないとも考えている。

 

ラジオから流れてくる野村さんの声のエッセイを聞きながら、誰かこの写真買ってくれないかなぁ、とか物書きの仕事をくれないかなぁ、なんてうすらぼんやり考えているうちに真夜中になった。

彼のように文章を書いて創作で食っていける人は一握りなのだ。

ベッドに潜り、もう何万回辿り着いたかわからないいつもと同じ結論をアルコール漬けの意識にしつこく上塗りして目を閉じた。