analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

東人、京都へ上ル

KYOTO GRAPHIE 2024を観るために新幹線のチケットを取り一路西へ。

残り少なくなってきたTmaxの購入に充てなきゃいけないお金だけど、思い切って新幹線のチケットを取り京都へ向かった。本当はじっくり写真展を見たいけれど、宿もなくのんびりできる時間もなかったので日帰り京都となった。

 

京都に行くのは10年以上ぶりだ。10年前と言えば京都がまだ日本人相手に商売をしていた頃で外国人観光客をチヤホヤし始める前の話だから、この10年で京都が外国人観光客様の街になってしまったのか心配だったし、10年以上も離れていたら完全にお上りさんだ。京都駅の動線は覚えているけど地下鉄の乗り換えなんてさっぱり忘れてしまった。

KYOTO GRAPHIEは京都を舞台にした国際写真展だ。

このイベントはただ写真を会場に展示するだけではなく、京都ならではの建築や空間と写真を高度に融合させることで素晴らしい「写真体験」を得られる無二の機会となっている。展示プログラムの他にもブックフェアや写真家のための講義プログラムもあるし、後述するヴィヴィアン・サッセンの展示空間を見るためだけに上洛しても全く損がない。

このイベントの詳細や展示の深い考察は詳しい人に譲るとして、久しぶりに訪れた京都をふらふら歩きながら撮った写真を残しておきたい。

おのぼりさん東人、京都に上った記録。

 

新幹線帰省と無縁な人生だった僕にとって初めて乗る超繁忙期の新幹線。

激烈な繁忙期を経験したことがないのでなんとも言えないけど、のぞみが全席指定になったおかげで今までニュースで他人事のように眺めていた混雑が良くなったのだと思う。それでもデッキにいる人はきっと寝坊して予約した新幹線を逃してしまった人なのだろう。

 

仕事で来ていた頃の京都駅はただの通過地点だったけど、こうしてゆったり眺めてみるとこの駅のエントランス空間はとても良い。いい塩梅の大空間になっている。

 

在来線の改札で誰かを待つ人。海外の観光客っぽさがなかったからきっと京阪神地方の人なのだろう。

 

京都にも二階建ての観光バスがあった。後ろのホテルのバルコニーが作る影のリズムが面白い。

 

インフォメーション町屋。ここからKYOTO GRAPHIEが始まる。

有形文化財の旧川崎家住宅がインフォメーションセンターになっている。内部の構成や建具、庭の作り方が素晴らしい。電子チケットをネットで買ってKYOTO GRAPHIEを楽しむのもいいけど、ぜひここでチケットを買う体験をしてほしい。

 

新幹線移動にたくさんお金を使っちゃったから、展示は都度お金を払って入場しようと思ったんだけどやっぱり買ってしまったパスポート。せっかくなので電子チケットではなく紙のものを買って思い出にする(言い訳)。

 

東の古い街からきた僕がびっくりしたのが、まるで社会主義国のようにだだっ広い京都の道路と歴史もくそもない雑居ビル&オフィスビル。これはこれで仕方ないのかもしれないけど、もうちょっとどうにかならんのかな、という思いと同時に目の前に展開されている現代都市としての京都は表層でしかなく、僕らのような通りすがりにはわからない深淵なる京都が巧妙に隠されているようにも感じる。

 

京都のど真ん中にぽつんと佇む公園。年季の入った遊具がとても良い。赤白黄青色の組み合わせで塗られた既製品の遊具で埋め尽くされてしまう新興住宅街や再開発された地区の公園とは一味違う。

 

KYOTO GRAPHIEは会場の写真を撮ってもいいよと背中を押してくれる。これは京都文化博物館別館に設られた展示のための仮説の壁に映る文化博物館の建具の影。

 

窓越しに強烈な日差しを浴びる忘れられたビニール雨傘たち。なんだか可哀想だから持ち主は早く迎えに来てあげてほしい。

 

京都文化博物館別館を会場にしたクラウディア・アンドゥハルの映像作品。四角い京都文化会館の内部に2つの円を放り込んで異質な写真映像空間を作った対比が美しかった。

 

京都新聞ビル地下の印刷工場跡地をヴィヴィアン・サッセンの展示会場にしたセノグラファー、キュレーターは素晴らしい。

マスキュリンな壁、配管や大型機器のために作られた床の溝、ほぼ真っ暗な構内は新聞のインクの臭いが染み付いていて、色鮮やかなサッセンの作品をこれでもかと強調していた。このインクの臭いは印刷物としての写真を強烈に想起させる。

動線の途中、もしかして過去に暗室として使っていたと思しき水場が見え隠れしたのも興味深かった。

 

創業112年って書いてあった草臥れた食堂を見つけたので飛び込んだら、にしんそばが美味しかった。観光客向けに英語メニューを全面に出した店とか東京にありそうなお洒落な店を見ても入る気になれない。目の前で食事してるおじちゃんも良い。

 

海辺の東人の僕が海辺をぶらぶらするように、京都の人々にとって鴨川はふらっとピクニックに来る場所なのだろう。部外者の僕が知ったようなことは言えないけど、京都の人にとって街を南北に貫く鴨川は神社仏閣よりも重要だったのではないか。

 

近づいても飛び去る気配がなかったのでこの子は鴨川の主かもしれない。

それにしても鴨川の幅と深さはどうにも心地よい。あまりに幅があって深いとなると両岸が完璧に断絶されてしまうのだが、向こう岸にいる人の顔が遠くに見える距離感がちょうど良い塩梅に「ゆるく」両岸をつなげていると感じる。

 

この絵を描いた人はきっと猫が好きなんだろうなぁ。

ベタ寝しながらおもちゃに手を出す猫の様子がよく描かれている。チョロチョロ目の前を過ぎる観光客を自慢の爪で引っかけそう。お、ニンゲンがいるぞ。

 

京都の最高気温26℃だったらしく5月にしては無茶苦茶に暑い。

それにしても京都のお姉様方の日傘はとても素敵だ。海辺で日焼け上等の東人からすると違う世界を見ている感じすらある。そしてこちらの日傘はみんなフリルがついているような気がする。

 

店先で卵焼きを焼いているおじさんの手際が良すぎてじっと眺めてしまった。錦市場はお店の8割くらいが外国人に阿っているように感じた。

 

地面に引かれた白線に沿って作られたシェードは随分と年季が入っていた。

白線が先かシェードが先だったのか。綺麗な白線をみるとシェードに合わせて白線を引き直したのかもしれないし、シェードも何回か作り直しているかもしれない。白線とシェードは持ちつ持たれつの関係性だ。

*写真は全てRICOH GRIIIで撮影し、DxO Photolabで現像

フィルムで撮った写真は後々現像して機会を見つけて公開したいと思う。

10数年前に京都を訪れた時、歴史的な街並みが破壊され現代的なアスファルト道路とオフィスビルで埋められた京都に少しがっかりした。

いま振り返ると若かった僕の目に映った京都は表層の京都だったのかもしれない。短い時間だけど京都をぶらぶら歩きながら、写真を撮っていると街のあらゆるところに京都のエレメントが埋め込まれているように感じた。近々また京都を歩いて東人の僕には見えていないこのエレメントを探ってみたい。

 

KYOTO GRAPHIE2024は5/12までの開催なのでぜひ春の京都に遊びに行ってほしい。ヴィヴィアン・サッセンの展示だけでもみる価値がある。