analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

手で考え頭を使って作る写真集

たまたま「写真家が向き合っているもの」というほぼ日の特集を目にした。

どの回も素晴らしく纏められていて、ハッとする言葉がそこかしこに散りばめられているのだけど、とりわけ奥山由之さんの回が面白かったので引用する。

奥山
撮った写真を、インスタだとか、SNSにアップしてるだけではダメです。
パソコンやスマホでは、見てもらう順番ひとつにしてもコントロールできないし、デバイスによって、大きさや写真の色味や明るさもまちまちですよね。
──
そうですね。トリミングさえされてしまうこともある。
奥山
だから、この作品にとって最適な状態はこれです、と言って差し出さないと、
やっぱり、何年かあとに見返したとき、その作品が持っていた作品性やメッセージやコンセプト‥‥に、気づけないと思うんです。
──
ようするに、本にすることによる物的な強度が重要。

www.1101.com

何かを考えながら表現のために写真を撮っているのに、毎日の忙しさを理由にFlickrTwitterに写真を放り投げるだけの自分、日々ダラダラと撮り散らかしているだけできちんと纏めないし外にも出て行かない自分が情けない。

思うことや考えていることはきちんと形にしなければならない。最高の形で自分の思いを展示するか冊子にして世に出して行かなければならない。振り向いてくれる人なんていないかもしれないけれども、撮ってネットに投げた後知らん顔することはまるで産んだ子を遺棄するようなものなのだ。

N0232022

HASSELBLAD 907X CFV50cII/XCD 45mm F4P

コロナ禍の少し前から細々と撮り溜めてきた海辺の写真を、こっそりオフィス複合機で雑にプリントアウトした。

A3用紙に写真を4枚面付けしたものを持ち帰り裁断してテーブル一杯に並べてみると、あっという間に自宅のダイニングテーブルが40枚程度の写真で隅から隅まで埋まってはみ出した。海辺の写真とはいえ個々の写真には何の繋がりもないバラバラなシーンの連続に一瞬面食らい、これをどう纏めたらいいのだろうかと頭を抱えたが、シーンごとや人の有無でグルーピングしてみたり時間軸でスタディをしていくうちに自分でも考えていなかった思いやストーリーが浮き上がってきた。

これって自分が散々建築アトリエで紙とペンとトレペを使ってスタディを繰り返して形を捻り出してきた、あの苦しさや楽しさと変わらないじゃないか。図面を書いて模型を作って潰してまた作るというあの地道な作業の中でふと見つける解へ向かう脇道。自分はあの脇道探しがやっぱり好きなのだ。

立体的な物、物質としてのなにかを作る時はPCの中で対象をいくらいじってもだめなのだ。現物の模型を作って手を動かしながらああじゃないこうでもないと考えるプロセスが必要なのだ。このプロセスの中で写真の大きさや余白の位置、写真の並びだとか大切なことが練られていく。

形になりそうな写真の順番を一旦クリップでまとめて一週間寝かせてみようと思う。来週もう一度新鮮な目で眺めて違う思いが生まれていなければ前に進めてみようと思う。次はサイズのスタディだ。