analogue life

シンプルな暮らし

お台場から佃島へ向けて歩く

HASSELBLAD 907Xをお供に引き続き無職ぶらぶら歩きを続けている。iPhoneのFitnessアプリによると最近は一日10-15km歩いてるらしい。

これだけ毎日ぶらぶら歩いているといままで毛嫌いしてきたスマートウォッチを買っても良いかな、なんて思い始めた。バッテリーの残量を気にするのが嫌なので太陽光で充電できるGarmin Instinct 2S Dual powerなんていいんじゃないかな。海辺の写真を撮るのでタイドグラフのついているやつだと尚更いいな。

9月最終日はお台場から豊洲を抜け、月島・佃島をぶらぶら歩いて越中島を越え門前仲町まで歩いた。門前仲町でしこたま飲んだ挙句人事不詳になり気がついたら真夜中に帰宅していた。カメラも財布も携帯も無くしていないが、もしかしたら友人を一人失ったかもしれない。

以降ぶらぶらの記録。

 

お台場の観覧車が解体されていると聞いていたので来てみたら、想像よりも早い速度で解体が進んでいた。一体この観覧車は何回転したのだろう、どれだけ多くの人の思い出に残っているんだろうと考えながら作業を眺めていた。どんなに記憶をさらっても僕はこの観覧車に乗った記憶がない。

秋の夜が迫る豊洲の公園にて。

芝生を手入れする人々の長く伸びた影、遠くからバレーボールで遊ぶ高校生の声が聞こえる。

ある時期に人の手で植えられた木々と高層マンションの林、人工的に作られた自然と住居を背景に人々の営みが展開する。悲しい光景ではないが美しく、楽しい瞬間にも思えない。手前味噌ながら絵画的な一枚ですき。

暗部のディテールを豊かに拾ってくれるHASSELBLADはさすがだなと思った。

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公園に近いビルの高層部に植えられた木。囚われの身、晒し者の木のように感じた。

この木は誘拐され、人の手によりここに植えられたのだ。このビルを解体する時にこの木の一生も終わるだろう。人間の安っぽいエゴ以外の何者でもない。

どういう訳かお台場のスケールは人間の身体スケールを逸脱していると思う。

近くに見えているものが異様に遠いし車の台数の割には道路が異様に広かったりするのがお台場の違和感につながっているんだと思う。だぶだぶの服をきているような感覚で何かがおかしいのだ。

豊洲を離れて月島あたりまでくると急に人間の身体スケールに街が合ってくるのか、不自然さがなくなる。10年ぶりくらいに佃島に来たらあまりに昔のままでとても安心した。

とはいえ資本による高層長屋はもうそこまで迫っている。この景色には過去と未来、安堵感と不安が同居している。

この店も昔からあった何も変わっていない佃島の料理屋。

民家の軒先に置かれていたこの鉢植えも昔から変わっていない。既製品ではない手作りの何かがこの界隈にはたくさん残っている。人の思考と試行の結果、時間が熟成させた顔つきを僕らは「人の温もり」と呼ぶのだろう。

高層長屋のポートレイト。この街には高層建築は似合わない。

佃島はいつまでもこの景色をとどめておいて欲しいと思う。同じ子供でも豊洲佃島では着ているものも遊び方も違うように見える。僕は路地で追いかけっこをしている佃島の子供の方がより健全だと思う。

相生橋を渡って越中島に入ると急にロードサイドの殺風景な街の様相を呈する。

自分はあまり得意な風景ではないので急足で門前仲町に向かうと、みずほ銀行のディスプレイがブルースクリーンになっていた。コーポレートカラーを大切にしていて素晴らしいと思う。

門前仲町に着いた頃にはすっかり夕闇が迫っていた。

信号で待っていると急に演歌が流れてきた。わたしの門前仲町という曲なのだそう。よく見ると古めかしいアーケード街に年季の入った商店が並び、たくさんの人が行き交っている。子供もたくさんいてとても賑やかな街だ。

ちょっと歩くと赤札堂があって脇道に入ると富岡八幡宮深川不動がある。街のサイズはこぢんまりしているけどとても活気があっていい。佃島よりも雑然とした雰囲気だが、この街は今度きちんと歩いてみようと思った。面白そうだ。

9月30日の記憶はここらへんまで。あとは何も覚えてない。
撮った写真を整理しながら、HASSELBLADの画質は素晴らしいけどやっぱりGR3があったらいいなぁって思った。買ったとしても結局ハッセルもライカも持ち歩くんだろうけど。