analogue life

シンプルでアナログな暮らし

最近読んだ面白い小説: 高瀬隼子「水たまりで息をする」

最近読んだ本の中で、高瀬隼子さんの「水たまりで息をする」が抜群に面白かった。

ある日、夫が風呂に入らなくなったことに気づいた衣津実。夫は水が臭くて体につくと痒くなると言い、入浴を拒み続ける。彼女はペットボトルの水で体をすすぐように命じるが、そのうち夫は雨が降ると外に出て濡れて帰ってくるように。そんなとき、夫の体臭が職場で話題になっていると義母から聞かされ、「夫婦の問題」だと責められる。夫は退職し、これを機に二人は、夫がこのところ川を求めて足繁く通っていた彼女の郷里に移住する。川で水浴びをするのが夫の日課となった。豪雨の日、河川増水の警報を聞いた衣津実は、夫の姿を探すが――。

 

浄水場から都市の配管を経由して蛇口から出てくる水道水を「ケガレ」として感じる男の話と聞くと、鈴木光司が「仄暗い水の底から」で表現した水にまつわる恐怖と狂気を思い出すが、この二つは全く別物だ。

 

後者は水にまつわる恐怖が主題になっている一方で、本作は都市生活に流れる規範、リズムから逸脱していく男の話だ。水は社会規範や生活のリズムの暗喩として物語の底部を流れている。ホラーでもサスペンスでもない体裁を取っていながら、しなやかな感性の文章の端々から人を絡めとる狂気を感じる。

 

何者かになることを脅迫される現代において、何者になろうともせず流されるように仕事をして結婚をして、趣味もなく仲良くソファでテレビを見ている夫婦に突然訪れる不協和音。

東京の真ん中で真っ当に生きているように見える人も、誰しもが大なり小なり社会の規範から逸脱していて、どうにも溶け込めない「何か」をみんな抱えていると思う。

どうにかそれを隠し通して都市生活を送れる人がいる一方で、一部の人間はどこまで行っても溶け込めないのだ。若い頃はどうにかやりくり出来ていた人も、地金が出てくる中年期以降急に都市生活と相入れなくなる人もいる。

 

この小説は大都会にフィットしない部分をどうにか覆い隠して、見えなかった事にしながら引きずっているうちにどこかが壊れてしまったひと握りのミスフィッツ達の寓話なのだと感じた。

僕もこの社会にうまく適応できず、歳を取るに従って感情の振れ幅が自分の手に追えなくなっているのだけれど、この小説を通してちょっとだけ救われた気がした。

 

今週のお題「好きな小説」