analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

日本から転出する同僚に寄せて

かつて一緒に働いていた同僚がニューヨークで仕事を見つけたので家族と一緒にあちらに移るという話を聞いた。なんでも子供の将来と教育を考えた結果の決断なのだそうだ。長い間悩み続けたのだろうけど、何か吹っ切れたような彼の口調はとても爽やかだった。

日本と労働環境も違うし医療保険の出費だって馬鹿にならないし、インフレが直撃しているニューヨークでの暮らしは火の車になることが想像に難くない。一方でこの国の今と将来を見つめてみると、どんどん水準が低くなる日本の教育と衰退する社会、収入と反比例して増加するであろう税金や保険料の負担がはっきりとした輪郭で目の前に鎮座している。

衰退することがほぼ確定した日本の中でどれだけ今の生活を延命させるかを考えるよりも大きなリスクを取ることを決めた彼の行動は賞賛すべきだと思った。ぜひ成功してほしい。

そう言えば別の友人もシンガポールに行っちゃったっけ。いつの間にか帰ってきたけど。

 

海外の生活がいいことづくめなんてことは絶対にないことは身をもって知っているので、彼らの行動が必ずしも正解だとは言えない。

医療費の問題、失職のリスク、インフレのリスク、子供の兵役、紛争のリスク、年金の問題…と挙げたらキリがないけど、自分が子供と家族を日本に置いておきたい理由は「アイデンティティなき子」にしたくないからだと思う。グローバル社会で活躍する根無草エリートカイシャインに育てることが目的ならいいと思うけど。

例えば多民族国家シンガポールなんかではダイバーシティの一環で、子供に自分のルーツの民族衣装を学校に着て来させる日を作ったり色んな食事を食べたりするけど、上っ面の衣装と日本のものとは微妙に違う食事なのだ。何だかどこか人工的で血の通っていない、表層的な文化の踏襲というか、レンガ風の外装材を使った「なんちゃって洋風だけど実は木造二階建ての住宅」みたいな感じ。

このごちゃ混ぜ多民族文化がアイデンティティなんだと言われたらそれも解答の一つだと思う。

でも私はもっと血の通った泥臭いところに子供のアイデンティティをもって欲しいと考えている。この国の行政や政治家や村社会のような集団が大嫌いとはいえそれでも先人の作ってきた文化や食事、気候風土や街のスケール感は素晴らしい訳だから。

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LEICA M6/Summaron-M 35mm F2.8/ORWO UN54

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LEICA M6/Summaron-M 35mm F2.8/ORWO UN54

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LEICA M6/Summaron-M 35mm F2.8/ORWO UN54

三浦半島の小さな漁港、海沿いの一方通行の路地、阿佐ヶ谷の商店街。

一見ばらばらで脈絡のない3枚の写真だけど漁業と輸送と商業は一つの流れになっていて、その上に私たちの生活や文化や日々の泣き笑いが乗っかっている。アイデンティティってものは普段見過ごすほどにささやかな物事の積み重ねの上に成り立ってるのだ。

とは言うものの…やっぱり身近な人が一人二人とこの国を後にするとなると心中穏やかではないんだよなぁ。