スロウでアナログな日々

シンプルでアナログな暮らし

身の丈よりちょっと小さく幸せに生きる

世の中には一升瓶に半分残った酒を眺めて「まだ半分もある」と思う酒飲みと「もう半分しかない」と嘆く酒飲みがいるらしい、なんて遥か昔から伝わる例え話は小脇に置いておくとして、この記事を書いている時点で年末年始の休暇は残り24時間を切ってしまった。

 

 

あと24時間後には座っても立っても同じ料金のくそみたいな電車に揺られてTOKYOのOFFICEとかいう場所に出頭し、顔を合わせる人々と「明けましておめでとうございます」なんて心にもない言葉を交わし、大して内容のない今年の目標*1なんてものを丁重に提出し、不機嫌ハラスメントぎりぎり*2のコミュニケーション地獄に身をやつすのだ。考えるだけで身が引き締まるどころか後退りして人生をフェードアウトしたくなる。出頭するのが嫌すぎてブルブルしてる。

 

 

仕事のことをぼんやりと考えつつ、ふと目に留まったNumber Webの以下の部分がとても引っかかっている。

松尾の記憶に強く残っているのは、落合が社会人として自立していく姿だ。ある日、松尾と落合が雑談をしていると、「経済力とは」という話題になった。落合は「どれだけ貯えがあるかではなく、持ち合わせを上手くやりくりできる力じゃないか」と言ったという。のちに落合は、幸せな生活を「ゆとりのある貧乏」と表現したが、そうした考え方は東芝府中時代に、グラウンドではなく職場で育まれたようだ。

Number Web 落合博満「これが、俺を育ててくれた東芝府中だよ」金欠時は炒飯を白飯に…知られざる社会人時代のリアル「定年まで東芝で勤めようと考えていた」

 

「ゆとりのある貧乏」の解釈は人によっては清貧かもしれないしミニマリスト的な生活かもしれないけれど、僕はこのくだりを「自分の器からはみ出さない生き方」と解釈した。身の丈よりちょっと小さい生き方と言ってもいいかもしれない。

無理してクルマ持ったり高い時計を腕に巻いたりといった消費とは無縁の生活。もちろん小さな器に閉じこもっていたら本当の貧乏になってしまうので、器を常にアップデートしつづけなければいけないけれど。

 

 

そんな僕の人生の舞台は仕事でも家庭でもなく、趣味と飲み食いと暮らしだ。

2024年のまとめは前の記事にまとめたので、2025年にやってみたいこと*3を思いつく限り書き出してみる。どれもが些細なことばかりだけど、写真活動を一歩ずつ前に進めたいと思う。

昼の仕事はあくまで生きていくためなのだ。そこに背伸びした成長や結果は求めない。出たとこ勝負でなるようになる。*4

  • 人の成功をみて気分を害さない
  • 今より10%程度痩せてたくさん服と靴を買う
  • 少なくとも3回以上写真の展示をやる
  • 大阪京都に5回くらいは遊びに行く
  • 35mm中心から120に軸足を戻したい
  • ニールセンの額を15脚くらい買い増したい(これは難易度高そう)
  • ひとつのテーマを設けて写真を撮る
  • IPA以外にも幾つかコンペに出品して賞を取る

こうやって改めて書き出してみると、2025年もやることがたくさんありそうだ。

きっと全部が完了することはないし、そうやって自分にプレッシャーかけすぎると折れちゃうかもしれないので「やれたらいいな」くらいの軽い気持ちを持ちつつ本気で取り組もうと思う。冷静と情熱の間のぬる燗くらいの熱量で。

 

それにしても、、、あと24時間で仕事始まるのか…嫌だなぁ。

 

【追伸】

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

 

今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」

*1:「飛んできた球を打つ」と「出来るだけ遠くまで飛ばす」をあらゆる表現手段と横文字を使ってそれらしく見せるのが日本の社会人の職能なのだ

*2:最近ぽっと出てきた不機嫌ハラスメントという概念が面白い。これがハラスメントになるんだったら、ちょっと前の僕は速攻でスリーアウト退場だったかもしれない

*3:目標という言葉を使うと会社みたいで非常にとても、最高潮に心持ちが悪いので「やってみたいこと」とする

*4:数%の努力が大きな差を生むことは事実だが、プランドハップンスタンス理論によるとキャリア形成の8割は偶然の結果なのだから