スロウでアナログな日々

シンプルでアナログな暮らし

今月のあとがき: 2025年12月

毎年12月になると、どうにか仕事を軟着陸させようと謀略の限りを尽くしている。

なのに、それなのに…ことしは急に降ってきた仕事をいなしていたら、予定していた仕事が終わらず。同時に体調不良まで襲ってきた中でギリギリどうにか着陸した。着陸失敗しなくてよかった。

ことしも一年、お疲れ様でした。

最後の最後にプリントした

ひとつ前のエントリで「Double-Xを手放してせいせいした」と書いた途端にずっこけ。

Double-Xと同じ要領でプリントしようとすると、締まりのないゆるっとしたプリントが出てくる。常用フィルムを変えた途端に経験値が一気にゼロになった気分。

現像のやり方含め、ちょっと色々やり直さないといけない。

まさかの副鼻腔炎で全く使い物にならないまま年末へ

元来身体が丈夫なので、体調不良といえば二日酔いか風邪くらい*1のバリエーションしかない僕が急に副鼻腔炎なるものに罹った。

 

朝起きてからずっと二日酔いみたいに頭が痛いし、奥歯と目がぎりぎり痛い。うつむいてものけぞっても目眩のような気持ち悪さが襲ってくるし、鼻をかめば「超きったない」鼻水がどんより出てくるし…って状況を一週間も経験した。目の前に仕事が降ってくるのに手がつかない。戦意喪失とはこのことか。

 



年末に仕事を押し込んでいたのに、この体たらく。かといって自宅にいても仕事にならないのでグリーン車料金払って出社するも、家を出たところで全く使い物にならない。顔が腫れてるしなんだか痛いので、家内の美顔ローラーでコロコロするも改善せず。

 

ベッドでうんうん魘されている僕の鼻の頭を、「あら、大変ね」とばかりにペロペロ舐めていく猫だけが介護者という壮絶な年末。

とりあえず治ったけど、もう二度と経験したくない。

人生初のクリスマスケンタッキーを経験した

「12歳の僕へ。クリスマスにケンタッキーを食べたけど、あれ普通のケンタッキーでした。」

 

子供の頃、テレビCMを眺めながら「クリスマスはケンタッキーにしようよ」なんて親にねだった記憶がある。たぶん僕だけじゃなく、きっと多くの人が記憶の向こう側にそんな思い出があるんだと思う。

 

クリスマスイブでざわつく街の商店街をぶらぶらして、ふと目に飛び込んできたケンタッキーに吸い寄せられた。「宿題」として出されてしまったものを片付けたような感じ。

 

冬の空気に冷やされたチキンに齧り付くと、なんの変哲もない平常運転のケンタの味。

どろっと残る脂を丁寧に淹れたコーヒーで流し込む。そこにはメランコリーさだとかノスタルジーのようなものはなく、ただ単調にケンタのチキンを食したなぁという達成感。

 

 

何も知らない無垢な子供の頃に両親と食べた記憶があれば、また違った味として認識したのかもしれない。そう考えると、食事って何を食べるかよりも「誰と食べるか」がやっぱり大切なのだ。

そしてやっぱり年末は寿司だな。

ザ・ムービアムヨコハマで没入体験

山下埠頭の倉庫を使ってアートの投影やろうというトヨタグループの企画。いわゆるイマーシブアート。オープニングとしてグスタフ・クリムトエゴン・シーレの展示(投影)ということで、面白半分で足をむけてみた。

 

音響も最高にいいし観覧人数を絞っているので、会場を歩き回りながら音を浴びることができるのが快適で良かった。陽と陰の対比でクリムトとシーレを描く構成も良い。

 

展示というよりは映像興行なので、クリムトもシーレも知らんがなって人でもスッと入ってくる明快さと心地よさがあるし、絢爛なクリムトと陰鬱で不安定なシーレの作風に音楽が「絡みつく」のが素晴らしく良い。

 

子供にとっては映像と音楽を「浴びる」またとない経験だと感じた。とてもいい。

 

 

一方、イマーシブアートについては微妙な感想が残った。

元来作品に備わっている素材感やスケール感、作家の手垢を全部剥ぎ取って記号化した結果、ただの体験消費の材料に堕落させているのではないか?と思うのだが、いかがだろうか?

 

芸術を好む人間からすると「作品」って作家の手垢のついたものであって、大きさから素材まで様々な要素が絡み合ったものなんですよ。

それを解体して丸裸にして投影してお終いって、写真をディスプレイ越しに見せているのと変わんなくて、それってアートじゃなくて、アートを矮小化して記号にして踏み台にした映像興行じゃん*2

 

作家はどこいった?え?もう死んでます?

 

ウィーン世紀末芸術「美の黄金時代」は2026年3月31日まで。

global.toyota

2026年からはVANSで行くと決めた

実は初めてなんですよ、VANS。

ニューバランスのNumeric 440が好きだったのに、あの細長いぺったんこシルエットが最高に良かったのに、微妙なカラーしか出なくなっちゃって泣く泣くNumeric卒業。なぜか今まで敬遠していたVANSを買ってみたら、そっけない感じがとてもいい。

 

日本流通品はABCマート企画じゃないか、US企画こそが至高…って考え方があるらしいけれど、スニーカーをすぐに履き潰しちゃう僕からしたら、安価に日本企画を出し続けてくれるのってすごくありがたい。

 

*1:挙げるとしてもあとは知恵熱か怪我くらいしか思いつかない。

*2:個人的な結論を言ってしまうと、投影と音楽をパッケージした「アートコンテンツ」として、ビジネス側から見た時の解のひとつがイマーシブアートなのだと理解している。要するにアートが元々持っていた、そしてアートをアートたらしめる「一回性」や「場所性」を引き剥がしたパッケージなので、機材さえ揃えば(もちろん調整は必要だが)どこでもこのパッケージで興行ができる。場所を問わずスケーラビリティがあって、繰り返し上演できるこの三要素はグローバルビジネス的というか、グローバル資本主義の思想そのものなのだ。

2025年に手放してよかったもの

世の中が「2025年に買った良かったもの」を話題にしているので、本ブログは逆張りして「今年手放してよかったもの」についてお届けしようと思う。

 

どんどん新製品が出て新しい分野が裾野を広げる時代ではないし、珍しいものだってあっという間にSNS経由で広まって陳腐化してしてしまう現代において、今年買ってよかったものをまとめてもアフィリエイト記事にしかならないし*1、飽食で情報過多の世の中においては「手放してよかったもの」の話題も同じくらい、もしかしたらもっと重要なのではないだろうか。

1. Eastman Kodak Double-X/Vision3

手放したというより「手放す以外の選択肢がなかった」ものだけど、結果的に手放してよかった。

 

だって製造元のイーストマンが、金輪際映画フィルムを一般消費者に売らないって決めちゃったんだもの。東南アジアあたりの詰め替え業者が悪いのは明白だけど、元締めが「もう売らねえ」って決めちゃったなら仕方ない。

 

試行と熟考を何週間か続けた結果、モノクロフィルムはFomapan200に移行した。

同時に新しい技術で作られたレンズと新しい設計の現像液に変え、現像の手法も公式の手法からかなり変えたものにした結果、よりモダンな描写になったようでDouble-Xを使っていた頃よりも結果に満足している。

 

Fomapanはクラシックなフィルムだけど、2015年に乳剤の設計を見直しているし、レンズや現像液の影響も大きいかもしれない。1959年設計のフィルムに古いレンズと古い処方の現像液使ってたら、そりゃ古い写真になるって。

N0712025

 

カラーネガはVISION3からORWOに移行しようとして断念した。

ORWOが東南アジアの詰め替え業者御用達になったのか永遠に在庫がないし、VISION3に比べてやたら高いしで持続性がなかったから35mmカラーネガは諦めてデジタルに移行した。中判は引き続きPORTRAを使っているが35mmカラーネガフィルムは卒業。

 

VISION3は決して悪いフィルムじゃなく、むしろ素晴らしい再現性を持っていたがために「なぜフィルムで撮るのか」という問に答えられなくなってしまった。

N0112024 flic.kr

手間暇のかかるフィルムだからこそ、「なぜ?」に答えられなくなったら終わりだと思う。それでも使い続けるのは資本主義の奴隷ではないだろうか。

2. SNS、特にX

Xをやめたのが2024年だったので、2025年にやめたものリストに入れるのは憚られるものの、あの安っぽいポジショントークの汚らしい口喧嘩対戦台の住人と触れ合わずに済むことに清々しているので、結果的によかったと思う。

嫌なもの汚いもの、浅はかなものを視界に入れないようにすれば、人生は明るくなる。

 

やめたところで世の中の流れに付いて行けなくなったかと言えばそんなことはないので、他のSNSもどんどん閉じちゃおうと思うのだが、instagramも閉めちゃおうと思ったところで少し躊躇っている。

 

写真にしても文芸にしてもSNSを足掛かりにしてデビューするような今の世の中において、僕の場合はXでもinstagramでも大した結果を残せなかったので、世の中に評価される写真を撮れないと諦めた一方で、写真関連で繋がってる人との連絡に困るのは如何なものか。

いっそのこと全部やめてしまった方が気楽なんだろうけれど、これは来年の宿題。

3. 毎晩酩酊するまで飲む癖

どれくらい飲んでるんですか?って問いに対して「毎週びん缶ごみの日に、うちの缶ゴミで集積所のコンテナが半分埋まるくらい」って回答すると大体呆れられるんだが、これは紛れもない事実で、なんなら人が遊びにきた週は我が家だけでコンテナをひとつ埋めてしまったことすらある。

 

そんなどうにも止まらない飲酒癖なのに、今年の夏あたりから酒量が減ってきた。

なんか…ビールが美味しくないの。あまりに美味しくないから病気かと思ったけど、日に日に体調が良くなり体重も減って、朝起きて午前中使い物にならない日もなくなり健康体になったので、もしかしたらお酒に飽きてしまったのかもしれない。

 

まだ完全にお酒やめたわけじゃないし、多分どこかで酒量が戻る気しかしないんだけど、毎晩飲みまくるのを一旦卒業したら世界が少し明るくなった(と思う)。

4. 明後日や来週のことをあれこれ考えて心を擦り減らすこと

いい歳して今更そんなこと言うの?って言われたら赤面して靴の先を見つめるしかないのだけれど、人間って歳を取るごとに繊細になっていくものだと確信している。

 

嫌な人や会いたくない人、暗い材料ばかりの未来ばかり直視していても心が擦り減るだけなので、今年の夏くらいから考えることをやめた。

世の中的には未来をきちんと考えなさいと言うし、仕事場に行けば中期長期で目標設定をさせられる。どちらの意見もごもっともなんだけど、社会人になって以降ずっと嵌められたままの首輪を一旦外し、目線を「いま、今日のこと」だけに落としてみると、とても気分が楽になる。

 

今日は天気がいいな、とか子供が楽しそうにしているな、とか。陽だまりでうたた寝している猫から毛くずが舞ってるな、とか。五感を通して「いま」を感じると色んな気づきがあるし、今日は何を食べようか、どこに行こうか、どんな本を持って行こうか考えるのもいい。

とにかく心配事を今日より先に求めないこと。

 

先日ラジオを聴いていたら、鈴木ジェロニモ*2が「マインドフルネスとはいまここにある現在に集中すること。椅子に座っている、あたたかい、靴紐がきつい…みたいなこと」と表現していたけれど、それってストリート写真を撮っている僕たちがいつも感じている「いま、ここにいること」と凄く似ていると思う。

5. HASSELBLAD 907X

色再現はとても自然だし独特で深い、すごいポテンシャルのカメラだけど自分の用途に合わなくなってしまった。

 

首から下げているとクルクル回ってしまうこととフォーカスの遅さに我慢できず、ちょうど35mmカラーネガを卒業する踏ん切りがついたこともあり手放した。907Xは使いづらかったけど、将来お金持ちになったらX2Dをまた買うかもしれないな。

N0382021

今週のお題「買ってよかった2025」

*1:本ブログも広告を貼ることがあるが、本当によかったもの美しかったもの以外は貼りたくない。

*2:鈴木ジェロニモ未経験の方はこちらを参照。https://www.youtube.com/watch?v=Dg1eeoD7op4

懐の深い街、熊本。

3泊4日で熊本に足を伸ばした。

今回は仕事で行ったので熊本城も阿蘇山も行けなかったけど、くまモンに囲まれて飲み食いに精を出しながら、どうにか朝晩の時間をやりくりして熊本の写真を撮ってきた。

 

熊本雑感1: 既視感のある街、熊本

高校生の頃に一度阿蘇山に行っているので熊本県には足を踏み入れたことがあるんだけど、熊本市に滞在するのは今回が初めてだ。

 

平日の夜に到着し宿に荷物を放り込んだら早速街に繰り出す。

全く土地勘がないのでまずは繁華街と言われる辛島町に足を向けたら、幅広いアーケード街ががらんとしていてびっくりした。

 

 

街の中心がこんなに過疎ってるのか…と驚いたけれど、平日夜と週末の人出はかなり違うようで、金曜土曜にもう一度行ったら結構な人出だった。電車が移動の中心になっている東京とは違って、車社会の熊本は人流が違うのだろう。繁華街の外れには大きな立体駐車場がいくつもあって夜は運転代行が道を行き交っている。

 

 

格子状に道路が走る繁華街の狭い道を、タクシーや運転代行の車が走り抜けていく様も面白い。週末の夜になると飲食店の脇にタクシーと運転代行がずらっと並ぶ様は、車社会の都市を象徴している光景だ。

 

 

2-3時間ウロウロ歩き回ってふと気がついたんだけど、熊本の街にほんのり既視感を覚えるのはこの街の構成が松山に似ているからかもしれない。

 

JRの駅は街の中心から離れた位置にあり、繁華街はアーケード街で*1城と繁華街の間を路面電車がうねうねと蛇行して走る街のあり方が松山にそっくりなのだ。

 

 

路面電車のある街は素敵だ。

ピカピカではない車両ほど路面電車の渋さが現れていいし、行き先名称の建軍町って名前もなんだか勇ましくていい。

 

そういえば空港から中心地までの間に自衛隊の駐屯地がいくつかあったけれど、熊本には九州と沖縄を管轄する西部方面総監部が置かれているとのことで、熊本市自衛隊にとっても重要な土地のようだ。建軍って名前の響きの良さはあまり関係ないみたい。

 

熊本雑感2: 辛島町は路地が面白い

アーケード街から一歩外れてキョロキョロしていると、視線の先には手作り感のある小さなアーケード路地がぽっかり口を開けていた。

 

 

この年季の入った手作り感がまた良い感じ。

これは想像でしかないが、おそらくこの界隈は地権者が細切れになっていて*2再開発が容易になされない環境なのだと思う。そこに熊本市の活気が流れ込んでいて、生き生きとしたクラシックな佇まいになっている。

 

熊本雑感3: アーケードを過ぎると街の奥行きを感じる

上通アーケードの終点から並木坂を抜け仁王さん通り方面へ向かうと、雰囲気が一気に変わる。

夜の店を中心にクラシックな飲食店がぎゅっと詰まった辛島町とは違い、古着屋や雑貨店、小さなカフェや古本屋が軒を連ねる。アーケード街の均一な光が一転して、並木坂から先は「闇の奥行き」が姿を現す。

 

 

並木坂の古本屋さんは値札の貼り方も神保町だし、入ったが最後時間を溶かしそうだったので今回はスルーした。正しい選択だったと思う。

上通から並木坂あたりは、チェーン店ではない本屋楽器屋が幾つかあってとても良かった。

 

 

雑貨屋の窓際に置かれた縫いぐるみたちを眺めていたら、ホームシックならぬ「猫シック」になった。この丸々ふわっとしたお尻が可愛い。

 

 

通りの名前になった真言宗正福寺。

なんの事前知識なく訪れたのだが、トップヘビーな割に足元が華奢で驚いた。これで熊本地震を切り抜けたんだから昔の木造建築ってすごいなぁと思う。

 

熊本雑感4: くまモン多すぎかわいい問題

街を歩けばくまモンに当たるってくらい。あちこちにくまモンがいる。それこそ5mに1匹と言っていいくらいのくまモン密度。

ちょっとくまモンに依存しすぎじゃないですか熊本県くまモンにおんぶに抱っこじゃない?と思ったけど可愛いからいいか。

ご当地ゆるキャラの最高傑作だと思う。

 

 

 

滞在中の写真たち

今回の裏テーマはデジタルカメラと仲良くなること。

M6とモノクロフィルムの組み合わせが自分のスタイルにハマりすぎていて、どうにもデジタルカメラを持つと面白くない。この面白みのなさは恐らく「成功体験のなさ」に由来してると考えているので、今回は積極的にデジタルカメラで街の写真を撮ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の行動範囲について

写真ファイルに埋め込まれたGPS情報をマッピングした。

出発前に熊本のストリート写真を探しても参考になる場所がわからなかったので、このGPSマッピングが写真撮る人の参考になれば。

 

 

HoudahGeoってアプリに写真を流し込んでマップを作ったのだが、驚いたことに20%くらいは500-600mの範囲で位置情報が間違っている。間違っている位置情報のうちの数件はGPS情報がそもそも埋め込まれていなかったりして。

上のマップは僕が手作業でひとつずつ位置情報を修正したものだけど、20%も位置情報が不正確って製品としてどうなんだろう。これはLeica fotosの問題らしいので、ライカはやる気を見せてさっさと修正して欲しい。

結論: 熊本、凄くいい。観光客に媚びていない街。

熊本城を中心にして高い建物を建てず、郷土の食文化に誇りを持っていて、東京化するわけでも福岡に寄るわけでもなく独自路線を持っている街、大規模再開発の魔の手*3に絡め取られない活気のある街だと感じた。

3-4日じゃとてもじゃないけれど、足りない。もっと味わいたい。

 

何より素晴らしいと感じたのが、「観光客に媚びていないこと」。

もちろん外国人観光客を意識したような〇〇横丁風の通りあるんだろうけど、僕が見つけたのは2022年に開業したらしい熊本屋台村*4ひとつくらいで、辛島町の飲食店も基本はローカル向けのこぢんまりした古い店だし、並木坂以北のスタイリッシュなお店もあまり観光客に媚びてる感じがしない。

 

提灯をたくさんぶら下げてなんちゃって和風のファサード作ったり、さっさと店のメニューを英語優先にしてカタコトの英語で客呼び込みやり始めた浅草と比べちゃうと、熊本の「俺たちはこれだから」って路線がとても好感度高く、浅草の尻軽さばかりが鼻について嫌な気分になる。

 

熊本城にしても独自の文化や食習慣にしても、人間形成の上でアイデンティティを育むための大事な土壌だと僕は思う。歴史を破壊した街の高層マンションで、グローバリズムのゆりかごで育った根無草なんて悲しすぎるから。

人間には帰る場所が必要なのだ。

 

*写真は全てLEICA M11-DとVoiktlander Color Skopar 28mm F2.8 Aspherical Type 2で撮影

*1:ターミナル駅から離れたアーケード街が街の中心になるのは関西以西の傾向だろう。これは移動がJRや私鉄に依存している都市圏と違うことからくるもので、巨大資本による駅前用地の買収と再開発が難しいことが大きな理由だと考えらえる。結果的に資本による街の破壊から逃れていることは長い目で見たら素晴らしいことだ。

*2:一般論として日本中の古い商店街は地権者が細切れで分かりづらくなっている。街の複雑さからするとこの界隈も似たようなことではないかと想像した。

*3:短期的視点に立って東急のビジネス形態を商業から不動産業に剛腕で切り替えてしまった渋谷は、10年以内に世紀の大失敗再開発と呼ばれるだろう

*4:この記事に掲載した写真の24枚目