analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

中年クライシス素描

自分もいつかは中年になり人生に迷って苦しむのだろう。

それでも世の大人はあんな苦悶の表情で悲壮感を背負って歩かなくてもよいだろうに、ましてや電車に飛び込んだり首を吊る必要なんて絶対にない。そもそも人がそこまで追い詰められる社会や世の中の仕組みがおかしいのだ。

 

20代の頃は漠然とそう考えていて、なんなら今でも他人事のようにミドルエイジクライシスに思いを巡らせているのだけれど、ここ数年僕の意識を覆う理由なき焦燥感だとか社会への無力感や自分の無価値感はたぶん世間で言うミドルエイジクライシスで、 もしかしたら知らぬ間に僕もこの苦しみに片足を踏み入れているのかもしれない。

 

ちょうど「きょうのはてなブログ」でミドルクライシス関連の記事が2つも上がっていたので、これらの記事を読んで考えたことを書いてみようと思う。

僕は心理学の教育を受けた人間ではないから気の利いたことも書けないし聞き齧りの話を文字起こししても何の価値もないと思うので、手掛かりになりそうな思いつきを箇条書きにしてみる。

  • 人間は100%死ぬけど仕事上のキャリアだっていつか行き止まりに辿り着く。キャリアって自己評価じゃなくて他者からの評価や時代の需要だから、こればっかりはどうしようもない。
  • 歳を取るに従って選択肢が劇的に減ってくる。何者にでもなれると信じていた自分と自分の可能性は、気がつくと跡形もなく消え去っている。人生が迷路なのだとしたら袋小路の数が次第に増えてきて、見慣れた場所をぐるぐるし始めるのだ。
  • 男性でも女性でも中年になる頃にはその大多数が人生の中で夢破れまくっていて、10代20代の頃に負った心の傷、あるいは折れた心の接合部が中年になると後悔の念と共に疼くのだろう。取り返せない時間、達成できなかったあれやこれは自分が無能だったからだという思い、人生の無価値観。
  • 大谷翔平から希望を感じることがなく、むしろ彼を見るたびに圧倒的な絶望感をもらうようになる。あの凄まじいバッティング音に添えられる「大谷がボールを破壊した」ってコメントは中年の心も同時に痛めつけるのだ。才能とはこうも不平等なのか。
  • 受験、就職、仕事の評価、出世あるいは独立後の成功…と上手にことが進めばいいが当然ながら勝ち続けることはできない。物事を勝負でしか判断できないソルジャー気質の場合、負け戦が多くなり強烈な劣等感が傷跡として残るんじゃないかな。
  • 資本主義社会の一兵卒教育には仕事の価値観教育が上手に組み込まれていて、ひたすら「あなたの仕事には価値がある」と調教されるが、そんな世界で育った人間がいざ中年になりふと人生を振り返った時、登ってきた梯子は既に外されている。多くの仕事には基本的に価値がないのだ。価値があるならもっと自分はいい生活をしていたっていいのに、対価のほとんどは株主と経営者のものだ。
  • だから世の中の中年ほど「何者かにならなければならない病」に罹って、動画配信始めたりインフルエンサーになろうとして第二の厨二病に罹るのだ。二次災害だし無謀な挑戦だ。これって進学就職に失敗した人がワンチャンかけて配信に走るのに似ている。
  • 中年男性がやたらカメラを買うのは手っ取り早く自己実現ができそうな分野だから。蕎麦打ちも近いものがあるけど、どっちにせよそれで生計を立てるなんてほぼ無理。ごく稀に成功例があるけど、あれはレアケースだということに気付く。
  • XやInstagramは中年にとって有害そのものかもしれない。(本物かどうかは置いておいて)山のように知識人が跋扈していて、雪崩のように強い言葉が押し寄せる中でさらに路頭に迷っちゃうから。そして過去に自分が見聞きした話題がその下の層からチヤホヤされている様を眺めていると中年の自己肯定感が爆下がりするから。
  • XやInstagramアイデンティティ喪失に陥った中年男女にセミナーや情報商材を売りつけるスペースでもある。こうやっていいねを稼げば他者からの評価をもらえるぞ、あるいは会社組織から脱却して自分らしい生き方をしてみろよって餌に中年は食いつくのだ。
  • 自分のアイデンティティを外部の要素に頼ったまま中年になると悲惨じゃないだろうか。乗っているクルマ、持っているもの、所属していた組織、住んでいる場所、学歴や資格あるいは肩書きは人に備わった本質的な要素ではない。
  • 世の中のモノやコトがつまらなくなってしまうのは仕方ない。時代が一周して自分よりも経験がない人間がモノを作ってるんだから。そこに深い思想や強度はない。時代の審判を受けてきた古いものに好みが向くのは当然。
  • ミドルクライシスを回避する方法があるとしたら、中年になるまでに自分の価値観(物差し)と収入を確立しておくことかもしれない。別の言い方をすれば仕掛けられた競争から降りてしまうということ。
  • 僕のやってる写真の分野だと、いわゆる「凄い写真競争」とSNSでのいいね徒競走から降りて自分のやりたいようにやること。あんな写真は生成AIにでもやらせとけばいい。
  • 自分自身の価値観があれば同級生がマセラッティに乗っていても億ションを買っていても羨ましいとは思わない。僕は自分の価値観で生きているので人の肩書きと持ち物をあまり羨ましいと思わない。収入は…どうにかしなきゃ。
  • 冒頭に「そもそも人がそこまで追い詰められる社会や世の中の仕組みがおかしいのだ」と書いたけど、どう考えても世の中や社会の仕組みはクソまみれなので、この仕組みからどうにかして下車することが大切。
  • いのちをだいじに。

この文章を書く気付きを与えてくれた記事

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