オリンピックの結果をネットで眺めながら、ふとそんなフレーズが頭をよぎった。
当たり前すぎるくらい馬鹿馬鹿しいフレーズに自分でも「そりゃそうだ」と驚いた。
この晴れ舞台で活躍する彼等は自分とは全く違う才能と能力を持って生まれ、私達が想像できない練習と勝負を乗り越えてきたのだから、このイベントは彼等のためのものだ。
私達はただの傍観者だ。
でも、よくよく考えてみたら、一方では土地不動産やデベロッパー等オリンピックで収益を上げる企業や組織もある意味では主人公なのである。
無観客試合となってしまった今回のオリンピックでは残念ながら収益があがらなかった業界も多々あると思うけど、それでも殆どの人はその恩恵の外側にいるのは間違いない。
そう考えるとオリンピックの主人公の裾野は少し広がるけれども、それでもオリンピックから恩恵を受けることのない私たちの多くは主人公ではない。
感動ポルノだけ与えられて、このオリンピックにかかった費用は様々な名目で徴収されるのが目に見えている。
悲観的だろうか?
私はそうは思わないけれども。
Pentax SP/CZJ Flektogon 35mm F2.8 Zebra/Kodak Tmax400
ふとオリンピック野球のアメリカ韓国戦が気になった。
テレビを回してもラジオの番組表をみてもネット中継も見つからなかった。
権利の関係なのかわからないけど何も観られないのだ。ホスト国の国民であるにも関わらず、だ。
この蚊帳の外に置かれてしまった感じがとても寂しいし、やはり私はこの人生を社会の脇役、それも想像していた脇役よりもさらに地味な脇役として過ごす以外ないのだと強く感じている。
私はこの世界の主人公にはなれない。
そんなのとうの昔に気づいているけど、こうやって改めて目の前に提示されると自分の価値というものを考えさせられるのが、ほんの少し辛かったりする。