とある平日の昼下がり、私の目の前には5本のレンズが並べられていた。
銀色の鏡筒のレンズが3本に所々色の擦れた黒い鏡筒のレンズが2本。いずれもレンズのコンディションは良好なのにとても良心的な数字が値札に並んでいる。
目の前に並べられたレンズをひとつひとつ指でなぞり動作を確認する。お店から借りたデジタルライカで試し撮りをしたあたりから記憶が無い。
ブラックアウト。
気がつくと1964年製のSuper Angulon 21mm F3.4がプチプチでぐるぐる巻きにされ、日本銀行券がきれいに置けるサイズのトレーと共に目の前に置かれていた。
後ろ玉が恐ろしく飛び出している。シャッター幕の直前まで迫る異形のレンズ。
ここ数ヶ月クセノタール付のローライフレックス2.8Cを血眼になって探していたが、どうにもこうにも満足できる個体に出会えず悶々としている中、似たり寄ったりの画角のレンズばっかり買っても仕方ないじゃん…という心の声に突き動かされ、気がついたらSuper Angulonに食指が伸びていた。
Super Angulonについて
他のライカ製レンズと名前の毛色が違うこのレンズは、超広角レンズの設計ができなかった1950年代のライツ社がシュナイダー社へ依頼して制作したもので、基本設計はウィルヘルム・トロニエ。
1958年から製造されたF4(前期型)と1963年以降のF3.4(後期型)に大雑把に分けられるが、後期型も1968年あたりでマイナーチェンジが行われ鏡筒がシルバーからブラッククロームに変わり無限遠ロックが省略されている。
大きな変更はこの程度で、後継となるエルマリート21mmが1980年に発売されるまでの12年間、前期型を合わせると17年間製造され続けた驚くほどロングランな製品。基本設計の優秀さゆえのロングラン製品だったと思う。超広角の需要がなかっただけかもしれないけど。
設計にトロニエが関与していたことは買った後で知ったことなのだが、私が愛してやまないクセナーと同じ設計者がこのレンズにも携わっている。
トロニエは素晴らしいレンズを数多く設計しているにも関わらず彼自身の写真もほとんどないし自伝みたいなものも見つからなかったので、断片的なストーリーをつなぎ合わせて彼の人となりを類推するより仕方がないのだが、とてもユニークかつ優秀な技術者であったことは間違いないと思う。
苦手なのは広角レンズではなく28mmという画角
ところで、実は広角レンズが苦手って人は結構多いらしい。
私も広角レンズに苦手意識があるのだが、Super Angulonを買うにあたり自分はなぜ広角が嫌いなのかと考えてみたところ、私が苦手なのは広角全般ではなく28mmだけなのではないかということに気がついた。
RICOH GRだとかSIGMA DP、LEICA Qみたいに28mmレンズを付けた小さなカメラを各メーカーが出していて、ことさらGRがよく売れることもあって28mm=万人が使える便利な画角…これが使えないのは腕の問題…と自分を責めそうになるけど人それぞれ得手不得手はあるわけで、私もDP1Mを使うと決まって座りが悪いようなむずむずする写真を量産する。
私の好みは水平と垂直がきちっと決まっていて主題が明確な写真であって、だらっと街中写真撮ってストリートスナップでござい…という写真が嫌いなので、どちらかといえば後者が好みそうな28mmという画角はそもそも私と相性が悪いのかもしれない。
被写体の内面をえぐるように撮る画角でもなく、冷徹に社会を受け止める画角でもない。水平垂直を出そうとすると途端につまらなくなるし、思いのままに撮ってもパース感がないので逆に水平垂直が気に障って仕方がない…ということが嫌いと苦手の内訳という結論に行き着いた。
SIGMA DP1Merrill
SIGMA DP1Merrill
手元にあるDP1Mで撮った写真を2枚挙げるが、世界を受け止めるには当事者感が強すぎて、主たる被写体を受け止めるには遠すぎる。主体に目を向けると水平垂直が気になりすぎるし世界に目を向けるとどこか退屈、という感覚をご理解いただけるだろうか。
「お前が下手くそなだけじゃ!」とお叱りを受けるかもしれないけど、少なくとも私にとって28mmは激ムズ画角なのである。
一方で28mmより広い画角はどうなのか、と云うとこれが不思議と苦手意識が全然芽生えて来ない。
下の2枚はNikkor 24mm F2.8Dで撮ったものだけど28mmよりパースが効いてくるので、第三者的な目線で世界と向き合おうという気分になる。やっぱり28mmだけがどうにもダメらしい。
Nikon D700/Nikkor 24mm F2.8D
Nikon D700/Nikkor 24mm F2.8D
使ってみたら素晴らしかった超広角
とはいえSuper Angulonは21mmである。24mmより一歩進んだ未知の領域。
一抹の不安はあったけど、現像から上がったネガを風呂場で吊るしながら光に透かしてみたらその不安は一瞬で消えた。スプーン一杯分の不安が一瞬で「いいじゃんこのレンズ」になった。
手前味噌で申し訳ないけど、とてもいい感じだと思う。少なくとも私が28mmを使って量産するボンクラ写真より数倍よろしい上がりだと思っている。
LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Kodak Tmax400/Silversalt Dev.
LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Kodak Tmax400/Silversalt Dev.
パースは強くかかるけど嫌な歪曲収差はほぼ感じられず、シャープだけどコントラストは程よい。買う前に聞いていた四隅の光量落ちはそこまで気にならないどころか、隅々まで破綻なく解像しているのには驚いた。
コントラストはそこまで強くないので、現像する時に撹拌を増やすなりしてコントラストを少し稼いだ方がモダンな写りになって良いかと思うけどこの辺は各人のお好みで。
撮影者と被写体の間合いに悩む28mmと違い、徹底的に傍観者のように世界を冷静に見つめる瞳って感じ。28mmレンズを使っていて「どうも広角苦手だなぁ」と思う人に試してもらいたい。
LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Kodak Tmax400/Silversalt Dev.
最短距離は0.4m。
もちろん0.7mより先は距離計連動しない。どうやったら最短で撮れるのかわからないので目測でチャレンジしてみたらやっぱり微妙に外した。でも面白いと思う。レーザー距離計でも買ってギリギリ最短で撮ってみる?
癖、つよい?
Super Angulonは万能選手というよりギリギリ正常圏内にいるキワモノレンズと思って付き合うと良いと思う。
このレンズをデジタルMにつけてチェックさせてもらった時に、ひどい色被りと露出計が使い物にならないことに驚いた。
特に色被りはひどい。デジタルとはまったく相性が合わないと前々から聞いていたけど想像以上にだめだった。M10以降なら大丈夫とも聞くけど、あまり期待はできないだろう。
もしデジタルライカで使うならモノクロ処理するか、初めからライカモノクロームを使うしかない。
ちなみにフィルムライカでも内蔵露出系は使い物にならなくなるので、単体露出計か脳内露出計が必要になるけどそれさえ気にしなければこの解像力と歪みのなさ、表現力は一級品だと思う。
LEICA M6/Super-Angulon 21mm F3.4/Kodak Tmax400/Silversalt Dev.
制限が多いレンズだけどおすすめできる一本
写真を撮っていると時々マンネリに陥ったりスランプにハマる時がある。
そんな状況に陥った時こそ超広角を試してみると良いと思う。Super Angulonでもいいしc Biogon 21mmでもいい。当たり前だけど自動的に写真が変わるので写真を撮ることが純粋に楽しかった原体験に帰ることができる。
昨今値上がりの激しいライカレンズの中にあって、キワモノ画角かつほぼフィルムライカ専用のレンズということもあり値段が落ち着いていながら良玉が豊富なのもいい。方々で銘玉と呼ばれるだけあって画質は素晴らしいので、一本持っていて良いレンズだと思う。
あ、でもビューファインダーは必須っぽいから注意ね。脳内妄想ビューファインダーで補完できると思ったけど結構難しいので。
参考