analogue life

シンプルな暮らしとフィルム写真のこと

アフターコロナの社会

メディアではしきりに「コロナ騒動が早く収束し1日も早く元どおりの暮らしに…」と喧伝するがコロナ禍は戦争や今までの天災と違い収束の目処が立ちにくい災害ではないだろうか。
大多数の人に免疫が形成されること、ワクチン開発が完了し抑え込むこと…等々様々な収束に向けたシナリオと収束見込み時期が語られるが、良くも悪くもコロナウィルスの騒動が一旦収束した後の世界は私たちが今まで暮らしてきた世界とは別物になるのではないかと考えている。

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このブログはフィルム写真に関するトピックを扱うために立てたものであるが、コロナ禍後の日本の行く末について自宅勤務の最中に縁側から空を眺めて思ったことを綴ろうと思う。
この記事中に写真の話は一行たりと出てこないこと、以下は私が無責任に頭の中で繰り広げた未来絵図であることをご理解いただきたい。

大規模小売店

家電量販店や百貨店は当面苦境が続くと考えられる。もしかしたら倒産や企業合併が進むかもしれない。コロナ禍が収束した後の大規模小売店舗のあり方は大きく変わらざるを得ないと思う。

イケアの店舗が少し変容した形、店舗の7-8割を倉庫に改装し残りをショールームにした形に変化するかもしれない。
注文はショールームの中からスマホで行い受け渡し口で製品を受け取るスタイルを取ればディスプレイや清掃などの店舗運営に関わるコストを圧縮しかつ人件費も圧縮できるので小売店としてかなり効率的にできるのではないだろうか。

併せてネット販売のための倉庫と店舗販売の在庫を集約できれば尚効率的になると思う。
アフターコロナの世界では大音量でBGMを流して客寄せをし、密集した店内で物を選ばせる売り方は淘汰されるかもしれない。

都心のオフィス賃貸

コロナ禍で多くの労働者がリモートワークに移行した結果、オフィスに定時に労働者を集めて膝を突き合わせてデスクワークを行う…という旧体制的な労働をしなくとも業務が回ることに私を含め多くの人が気づいた。
アフターコロナの世界では都心に大きなオフィスを構えることは大きなコストと捉えられ、オフィス賃貸は厳しい時代になるかもしれないが、リモートワーク用の小規模オフィスの需要が増える可能性もある。もしかしたら駅前の雑居ビルを改装してリモートワーク用のオフィススペースにしたり、コロナ禍で影響を被った漫画喫茶が業態を変更してリモートオフィス用の個室貸し業務を行うかもしれない。

労働市場

人事採用にも変化が訪れるかもしれない。
前述の通り旧体制的なオフィス労働を行わなくても業務が回ることを私たちは経験してしまったことから、今までのように定時に会社に出社する生活、満員電車の苦痛に耐え忍ぶオプション付きの労働環境は選択肢から除外されると思う。
アフターコロナの世界では、旧態然とした社風の会社は新卒社員・転職組のいずれからも相手をされなくなるかもしれない。

産業構造

飲食業やサービス業の担い手が極端に減少し、これらの業態の品質水準が劇的に低下すると考えられる。これは東京オリンピックを足がかりに日本の産業をインバウンド産業へ転換させようとした日本政府の思惑に思いきり冷や水を浴びせかける形となった。
飲食業やサービス業は人々を幸福にするために無くてはならない業種である一方で、労働者が搾取されてきた業態でもあり災禍によって真っ先に苦境に立たされることが明確になったことから、アフターコロナの世界では品質の良い小規模なレストランや居酒屋と極端に劣悪な水準の飲食店、サービス業へ二極化するのではないかと考えている。

学生の志望する就職先に目を向けると公務員志望はさらに大きくなるかもしれない。

しかしながら、コロナ禍を通して日本の行政システムが極端に旧時代的であることが明らかになった今、今後イノベーションを起こす意識のない人間が公務員としてぶら下がり続けたとしたら、日本の行政システムは自身を変革する力を持たないのでガラパゴス化が加速するかもしれない。

住宅市場

都心のマンション価格はコロナ禍以前の段階で一般的な収入の国民が買えない価格まで高騰していた。ただでさえ高騰した住宅価格に消費増税が追い打ちとなり、都心に住宅を購入しようと考えた場合かなりの無理な住宅ローンを組むか不便を受け入れるかの二択を迫られていた。

アフターコロナの世界では都心のオフィスへの通勤を迫られる職種は敬遠されると同時に、都心に住むメリットも薄れるのではないだろうか。併せて東京近郊の環境の良い住宅の取引が急増するかもしれない。

もしかしたら僻地に住む人が増える可能性もある。可能性はかなり低いがポツンと一軒家が高視聴率を叩き出していることもあり、あながち可能性のない未来とも言えない。

興行関連

いわゆるドーム会場を使った商業音楽のイベントは当面開催できないか規模が縮小されると思うが、商業主義的ではない音楽の興行は自粛ムードさえ解消されれば再開されるのではないだろうか。アーティストはどうにか生き延びることができると思うが、土地建物を所有しているライブハウスや人員を抱えているプロモーターなんかはコスト垂れ流しになるので業態の転換が起きてしまうかもしれない。

もっともあり得そうで一番厄介な結末

それはある程度収束したところで甚大な被害を放置したまま元どおりの社会・生活に戻ってしまうことだと考えている。

喉元過ぎればなんとやらで、実はこのシナリオが実現する可能性が一番濃厚なのではないだろうか。現代社会が抱えている問題だとか、人権を軽視した働き方を改善する絶好の機会を全てなかったことにしてグローバル資本主義と日本式ガラパゴス会社エコシステムが再加速することになったら…。おそらく現代社会が抱えている社会問題や労働問題を解決する次のチャンスはもう無いのではないかと思う。