2018年もあと少し
今年もよく働いた。人生の大切な時間を仕事に搾取されたとも言えるけど、去年の今頃と比べたら少しづつではあっても前進したように思う。
Bessa R3A/Summaron 35mm F2.8/Kodak Portra 160
シンプルでありたいと云う欲求
心地良いソファに深く座ってざっくりとした風合いの毛布を身体に巻きつけ、ほんのり温かいオイルヒーターに両脚を乗せてぼんやりと雑誌と空を交互に眺める。うたた寝をしているうちに陽が落ちてしまった事に気がついて部屋の白熱球を灯す。
飲み物をコーヒーから酒に変えて、ソファに戻り夕方のラジオ番組を聴きながらまた少しボンヤリする。このまったく生産性の無い休日の過ごし方を最近少しづつできるようになった。
月曜日から金曜日までひっきりなしに持ち込まれる問題と、うんざりするほど繰り返される対話と打ち合わせ。誰とも会話したくない気分になる休日は、シンプルな生活に想いを馳せることがある。
Nikon D700/Nikkor 58mm F1.4/VSCOfilm Pack04 Agfa Scala
最近、このコミュニティラジオ局がとても好きだ。音楽が多くておしゃべり少なめ。バラエティに走らず淡々と良い音楽を流すことが当たり前にできている局って中々無い気がする。
毎週日曜日の20時からJwaveに合わせてみるのもいい。野村さんの心地よい声と選曲が素晴らしい。
何もせずにボンヤリ過ごすこと。
文字に起こすのはとても簡単なことなのだけど、実際にボンヤリ過ごそうとするとこれが思いの外難しい。頭の中では常に時計がチクタク回っていて、タスクの優先順位があって、空いた時間があったら何かで埋めないと気が済まない。
僕らの脳は日々の目まぐるしい仕事生活の中で休息を取らずに働き続けるよう調教されすぎてしまったため、「ボンヤリする」という一見簡単な行為がとても難しいことになってしまっている。
心地よいもの
心の安寧のある生活を送るためには、身の回りにあるものは心地よいものでなければならない。それは身体をゆったり預けられるソファであったり、肌触りのよい毛布であったりいつまでも触っていたくなるような食器であったり、耳触りのよい音であったり。
人の受け取る情報の大部分は視覚を経由すると云われるけれど、人が感じる心地よさはおおよそ全て視覚ではなく触覚や聴覚、嗅覚と結びついているのではないかと考えている。
Bessa R3A/Summicron-M 50mm/Adox Silvermax
ソファと云えば、随分前にIDEEで見たDimancheソファはとてもよかった。
座面がフラットかつ広くて、居眠りするにも本気寝するにも心地よかった。人をダメにするソファの最有力。資金力のある方はぜひ。下手な北欧ヴィンテージに手を出すより良いと思う。今では無印でも売ってるし。
心地よいカメラ
今週の初め、散歩コース(偵察コース)の中古屋をぶらぶら眺めていたら程度の良いM6に突然出会ってしまった。気がついたらショーケースから出してもらい空シャッターを数回切らせてもらって、次の瞬間にはすっかりその心地よさに心奪われてしまったのである。痩せ我慢が崩壊した瞬間。
中古品は一点物だし、ここ数年で中古ライカがどんどん値上がりしていることも事実なので、状態が良くて自分と相性の良さそうな個体に巡り会えた時が買い時だと判断した。突然の出会い。押し入りサンタクロース。
それにしてもライカは触覚だとか聴覚だとかに訴えかける物作りが非常に上手い。上手いと云うより、意図的かつ偏執的に感性に訴える物作りをしているように思う。
デジタルカメラと違いフィルムカメラの本体は画質に直接な影響を与えることはない。設定通りの速度でシャッターが切れてくれて頑丈ならばそれで良いと考えていたし、ファインダーが素晴らしく、頑丈なBessaは大好きなレンジファインダーカメラである。
それこそ「俺はBessaと心中するから」くらいの気持ちでいたのだけど、一度ライカの心地良さに気付いてしまうと、どんなに理屈をこねたところでこの心地良さに抗うのは難しかったし、抗ったところで沼に落ちるまでの時間がちょっと伸びるだけでしかない。遅かれ早かれ買うことになるのである。フィルムカメラの先輩方もきっと同じ道を歩んだに違いない。
虚しく終わる「これが最後」と云う誓い
機材を買う度に「これが最後だから」と自らに嘯いている気がする。
M6を買ったら今まで気にもしていなかった28mmが気になってきた。広角は苦手なのだけどM6には28mmのフレームもあるし、作例をちょこちょこ観ているうちにエルマリート28mmとズマロン28mmが気になってきた。来年のどこかの時期でまた素敵な巡り会いがあったらいいなと思っている。
と云うか、来年まで辛抱できるのか既に疑問なのだけど。