ここ最近、自宅の防湿庫の中からSIGMA DP1Merillを引っ張り出して使っている。
久しぶりに使ったDP1は悪くない…というかモノクロ専用機として絶好調すぎる。このblogの目的はフィルム写真に関することを書くためだけど、たまにはデジタルのことを書いてもいいよね。
世間はSigma fp一色だけど、僕は未だにMerrillを持ち出してる。世代的には古いけどモノクローム専用の28mmとして使うと本当に素晴らしいカメラじゃないかな。#sigma pic.twitter.com/8yCLuWJD5c
— 𝙩𝙤𝙨𝙝𝙮𝙞𝙚 (@toshyie) October 26, 2019
未現像のX3Fファイルたち
防湿庫の掃除をしていた際たまたま手に取ったDP1Mをいじっていたら、紛失したと思っていたSDカードが入っていた。久しぶりに再会したSDカードをMacに差し込んだら未現像のX3Fが残っていたのだけど、当時は気にも留めなかった写真が随分と輝いて見えた。ほぼ4年前の写真たちである。驚き。
愛すべき問題児
元々このカメラは西表島に行くときに携行品を軽くする目的で買った経緯がある。Foveonセンサーと専用設計のレンズがひねり出す超精細な解像感が信じられないくらいの小ささにまとまっていて、島巡りをするにあたって巨大なデジタル一眼レフを持ち歩くより遥かに快適だった。
しかしながら現実はそういいことずくめではない。
Foveonセンサーは色再現の問題が解決できておらず、いわゆる「当たればすごいけど当たらない」問題は無印DPの頃からあまり変われなかった。陽が燦々と輝く南国に持っていくには良いけれど、人工的な光源を見せたい場合だとか東京より北の地域ではどうしても色への違和感が拭えなくて、気がつくと使用頻度が段々と減り、いつの間にか防湿庫番になっていた。
4年前の自分が何を考えたのかはっきりと覚えてないけれど、SDカードに残った写真は色の調整に手を焼いて放棄したものだったと思う。ホテルオークラのロビーを撮った上の写真も、べったり張り付いたイエローがどうにも嫌で悪戦苦闘したけどどうにもならなかった。
プアマンズライカモノクローム
Foveonセンサーの高感度がまるでダメというのはこのセンサーが世に出た頃からずっと言われていて、モノクロームに変換するのは元々ダメな高感度をどうにか使うための苦肉の策だったと記憶している。言うなれば臭い肉をどうにか美味く食う、生活の知恵のような何かが発端だった(はず)。
そうこうしているうちにメリル世代のFoveonセンサーが世に送り出され、SPPにモノクロームモードが追加されたのだけど、Foveonセンサーの原理を改めて考えてみれば1画素ごとに垂直に色を分離していくので、分離した色の強度のみを再構築してやれば純粋なモノクローム写真になるのである。アプローチは違えど1画素ごとにモノクロームの光を捉えていくのはライカモノクロームと同じだ。
残念ながらクアトロ世代のセンサーではメリル世代と異なるアプローチを採っており、ベイヤーセンサーとFoveonセンサーの間の子となっているため、計算で補完しないモノクロームを撮りたかったらメリル世代以前を使うしかない。
モノクローム専用のお散歩カメラとして
Foveonセンサーが作るモノクロームは、元のシャープネス設定とコントラストが高いことも相まってモノクロフィルムが作る写真とは別の旨味がある。非情(非常)に解像するのであまり情緒は感じられないのだが、情緒的じゃない写真を撮ろうと思ったらいい選択なんじゃないかと思うようになった。
人の温もりだとか情のような物を排除した、インダストリアルなものだとか自然だとか廃墟と対峙した時にFoveonセンサーとモノクロームは素晴らしい仕事をする。
DP1Mと2Mを使って冬の能登半島をモノクロームで撮ったPhoto Yodobashiは、このセンサーの使い方をよく熟知していたんだなぁと改めて思う。普通のデジカメに飽きちゃった方やクアトロセンサーからSIGMA DPの世界に足を踏み入れた方は、ぜひ中古市場を漁ってメリルセンサーのモノクロームを体験いただきたいと思う。いいカメラだよ。